横須賀製鉄所――造船王国・日本の源流


ものづくり日本の源流を訪ねる
横須賀製鉄所――造船王国・日本の源流





第2章
ヴェルニー公園――軍港横須賀を見渡す歴史の公園


軍港を前にしたヴェルニー公園にあるヴェルニー記念館


(1)ヴェルニー記念館

■横須賀港−−米海軍と自衛隊が同居する港
JR横須賀線「横須賀」駅の改札口を出ると、すぐ先はヴェルニー公園で、青々とした港が広がる。
港は、右奥から正面(東)、左(北)に広がり、対岸の米軍基地の岸壁には、修理中の潜水艦が係留されたりしている。

横須賀軍港を目前に開けた臨海公園は横須賀製鉄所の首長だったフランス人技師ヴェルニーの功績をたたえて作られたものだ。
ヴェルニー記念館には、横須賀製鉄所の原動力となった、鍛造用の3トン、0.5トンのスチームハンマーも展示されている。製鉄所建設の立役者であった小栗上野介とヴェルニーの胸像に往時をしのぶ。

軍隊に縁がない一般人にとって、潜水艦を目の当たりにするのは新鮮な驚きだ。なぜなら、潜水艦の位置は軍の最高機密になるからだ。世界中の潜水艦は、その所在地が謎だ。日本の自衛隊員も、潜水艦乗務になると、家族にさえ、どこに行くかを明かせない。
港の北側は海上自衛隊の基地である。左の方を見れば、何隻かの戦艦が停泊しているはずだ。
全長248メートル、話題のヘリ空母「いずも」もこの横須賀港所属なので、運が良ければこうした大きな戦艦がいくつか見られるはずである。

10月には、オレンジ色が鮮やかな南極観測船「しらせ」がたまたま着岸していた。
南極観測に出かける前の器材の積み込み作業に忙しいようだった。

「しらせ」は海上自衛隊に所属し、母港が横須賀港なのだ。いつも見られるわけではないが、運が良ければこういう場面に出会える。

その先にはネイビーカラーの戦艦が何隻か停泊している。横須賀港は自衛隊と米海軍が同居する軍港なのである。

目の前に展開する非日常的な光景に最初は戸惑うが、マスコミでも話題になるイージス艦など高性能な戦艦を近くで見られるオープンさも、いまの横須賀や海上自衛隊を象徴する光景である。
  

ヴェルニー公園地図。横須賀港とヴェルニー公園の位置がわかる


左の地図の右下にあるショッパーズプラザ屋上からの光景。左がヴェルニー公園。奥が自衛隊基地。中ほど、岸壁が少し出ているあたりにヴェルニー記念館がある。

対岸は米海軍基地。潜水艦などが見える。

デッキウォークの先は海上自衛隊の基地だ。遠くに軍艦が見える。

南極観測船として4代目になる2代目「しらせ」。2008年に進水し、排水量12,500トン、全長138m、厚さ1.5mの氷の中を3ノットで航行することができる。乗組員は自衛隊員で80名、研究者など179名が乗れる。輸送用の大型ヘリ2機と小型ヘリ1機の3機を搭載している。
   


■官営として残った唯一の造船所
JR横須賀駅からほんの数十メートル、公園に出るとすぐ左がヴェルニー記念館である。
横須賀製鉄所の首長として日本の造船と産業近代化に大きく貢献したフランソワ・レオンス・ヴェルニーの功績をたたえて2002年横須賀市が建設した施設である。

ヴェルニーは、1837年にフランス南部で生まれ、パリのエコール・ポリテクニークで造船学を学んだあと海軍造船大学校に進み海軍技術者になった。

卒業後は造兵廠で働き、1860年にはフランス海軍が中国・寧波で運営する小型砲艦の造船所で監督者を務めた。

1864年に任務が終わると、駐日公使のレオン・ロッシュらの要望を受けて横須賀製鉄所の建造計画に参加し、1876年までの12年間、首長として造船所の立ち上げ・運営を指導し、多くの造船技術者を育成した。

相談を受けたヴェルニーは周到な計画を作る。その一つが、事前に横浜製鉄所を作り、そこでフランス語を教え、機械加工・造船などの技術者を育成し、横須賀に投入するというものだった。

幕末の開国に際して、幕府は軍船の建造の必要性を痛感して、造船所を長崎や江戸・石川島、横浜、横須賀に開設するが、それらの中で、官営の工場として国が変わらずに運営してきたのが横須賀製鉄所(造船所)であった。
ヴェルニー記念館は ここ 2002年に整備された学習施設で、開館時間は9:00−17:00で月曜日休館。駐車場なし。JR横須賀駅から徒歩1分。


■150年前のスチームハンマー
横須賀製鉄所は後に横須賀造船所と名前が変わるが、当初、製鉄所=鉄製品を加工する工場という意味でつけられたもので、実態は造船所だった。

周辺に協力工場があるわけではないので、パーツから道具まですべてを工場で内製しなければならなかった。

肝心の鉄鋼だけは、国内では入手できなかったために、フランスなどから輸入された。

工事が始まったのは1864年8月。小栗上野介やヴェルニーの計画は、単に造船所を作るだけでなく、一大軍港を作るという壮大なものだった。
モデルにしたのがフランスが誇る軍港ツーロンだった。

ヴェルニーは、横須賀製鉄所の建設計画書を提出した後、いったん技術者の採用や機械類の調達にフランスに戻るが、その時に調達された設備の中にあったのが、いま、ヴェルニー記念館に展示されている2機のスチームハンマーである。

1機は門型の3トンのスチームハンマーで、もう1機は0.5トンの片持ち型ハンマー。
熱した鋼鉄を型の中に入れて、上記の動力を利用して持ち上げたハンマーを落として押し固める、鍛造品を加工する設備である。

この設備で使った金型や金ハシなども館内に展示されている。いずれもオランダ製で、1865年製の銘が入っている。

館内には、横須賀製鉄所や近代の歴史遺産を紹介する映像、体験学習用機材、スチームハンマーの稼働模型なども展示されている。
詳細な資料も用意されていて、受付で申し出るといただける。ご興味のあるかたは、一読されるといい。
  
門型の3トンスチーム・ハンマー。0.5トンハンマーとともに、慶応元(1865)年に作られたもの。国の重要文化財。



片持ち型0.5トンスチーム・ハンマー。平成9(1997)年まで在日米海軍横須賀基地船舶修理廠で稼動していたが、平成12(2000)年に横須賀市へ移管され、2002年に復元修理されて記念館に移された。国の重要文化財。

1865年オランダ・ロッテルダム製の銘鈑。ヴェルニーがオーダーしたものだが、当時のオランダが高い技術力を有していたことがわかる

鍛造の金型。3トンの耐荷重の金属フック。


鍛造中の高熱の材料の寸法を測るパスや金ハシなどの工具

当時の稼働中の様子。
   


(2) ヴェルニー公園

■バラ公園に立つ旧海軍基地2つの衛門
公園を進むとすぐ右手に、道路側に沿って2つの古い門が立っているのが見える。
8角形のレンガ模様の門で、かつて、ここが海軍基地だったころの、基地への入り口の衛兵ボックスだ。裏に回ると、2つの門の間から港が見える。

高さはおよそ4メートルくらいか、屋根は銅板ぶきのドーム型をしていて、本体は、鉄筋コンクリート造りに、外壁にタイルを貼ったもののようだ。
明治末から大正初期に作られたもので、いかめしい当時の軍隊の面影をよく伝えている。

このあたりの地名は「逸見(へみ)」。右の門には「軍港逸見門」、右の門には「逸見上陸場」の文字が見える。歴史と当時の海軍の威厳を感じさせる衛門だ。

すぐ近くに横須賀製鉄所建設の功績者、小栗上野介とヴェルニーの胸像が並んで建てられている。
小栗の像の足元には、大きな功績がありながら罪に問われた無念さを訴えているかのように、小栗が斬首された郷里の地の石が敷き詰められている。ときの為政者に主導される歴史の理不尽さを物語っているかのようだ。

この一帯は、フランス式の庭園を模して整備されており、花壇や噴水が設けられている。
100品種、2000本を超えるバラが植えられていて、初夏には見ごろを迎える。

公園の海側は、板貼りのボードウォークとして整備されていて、心地よい潮風に吹かれながら、散歩を楽しむことができる。
木陰で一休みするなら、カフェレストランもあり、ネイビーバーガーや海軍カレーも食べられるので、港を眺めながらの一休みも悪くない。
      

港を前にしたヴェルニー公園。2つの門が見える。

2つの衛兵ボックスの間から海が見える。
逸見(へみ)上陸場。逸見波止場衛門
軍港逸見門。コンクリートにタイル張り。
小栗上野介忠順。幕府の奉行職にあったことで、明治新政府になって斬殺された。
レオンス・ヴェルニー。着任時は27歳という若さだった。

5月には、庭園はバラが満開だ。

カフェレストラン「コンセール」。木陰で一休みにはうってつけ。
   


■軍港横須賀の面影−−長門を建造する技術力
ヴェルニー公園を奥に進むと、いくつかの碑石が置かれた一角があり、「海軍の碑」「戦艦長門碑」「軍艦沖島の碑」などが建てられている。

明治以来、海軍は佐世保、舞鶴、呉などに鎮守府を置いていたが、なかでも横須賀は、筆頭の位置にある重要な軍港で、かつての海軍在籍者にとっては、それなりの感慨をもって思い出す聖地でもある。

帝国海軍の戦艦名をあげると、現代では、大和や武蔵の名がエースのようにいわれるが、この2艦は、海軍が起死回生策として極秘の中で建造した戦艦で、報道も一切なし。国民にとって戦艦のエースは、連合艦隊の旗艦「長門」だった。

排気量39,120トン、1920年に呉の海軍工廠で造られたあと、横須賀鎮守府に所属し、太平洋戦争を終戦まで生き残った。
当時最強とうたわれた英国のドレッドノートを越える性能を持っていたことから超ド級と呼ばれた、世界初の40センチ砲を備えた戦艦である。

碑文には、

「ありし日の連合艦隊旗艦長門の姿をここに留めて激動の時代をしのぶよすがとする」

と記されている。
長門は、戦争は生きのびたが、終戦後はアメリカに接収され、アメリカがビキニ環礁で行った原爆実験の標的にされて沈んだ。そうした長門の数奇な運命を悼むかのようだ。

軍艦は、当時の国の最高の技術を集めた、いわば、技術力の塊であり、軍艦を検証することは、その国、造船所の技術力を検証することでもある。

西洋の産業技術を導入してわずか50年ほどで世界最先端の軍艦を作ってしまう、日本人の技術力もなかなかのものといえよう。

この、超ド級戦艦の長門を日本が独自に建造したことから、世界は日本の技術習得の速さに驚き、このあたりから日本の軍事力を警戒するようになってくる。
長い歴史を積んでそうした技術を獲得してきた列強には、その短時日で技術力を工場させたにほにほんのスピードの速さは驚きだったに違いない。
  

「戦艦長門碑」

   


■正岡子規の碑
長門の碑のすぐ横に「軍艦沖島の碑」がある。
沖島は昭和11年に建造された機雷水雷の敷設艦で、昭和17年にソロモン群島の海戦で沈み、44名が命を共にした。
昭和58年に生存者が、亡くなった戦友をしのんで慰霊碑を建立したものだ。

この碑に並んで、一番奥にあるのが正岡子規の碑である。
軍関連の碑が並んでいるので、子規が海軍の碑を?・・・と、一瞬?マークが頭を巡ったが、こちらは海軍とは関係のない、単なる横須賀港にまつわる句碑だった。

碑文は、

「横須賀や 只帆檣(はんしょう)の 冬木立」

明治21(1888)年に、夏季休暇に浦賀から横須賀を旅した際に読んだもので、1867年生まれの子規、一高生21歳の時の句である。

帆檣(はんしょう)とは、帆柱のこと。季節は夏だが、港には帆柱が林立していて、冬の枯木立のようだ、とよんだ句である。
時は明治21年。軍港にたくさんの軍艦が停泊している。
石炭を動力源としながら、巡航時には帆を張って航行する帆船仕様になっている船がほとんどで、帆をたたんで停泊している姿をよんだものだ。

世のなかは殖産興業・富国強兵にまっしぐらに進みつつあるなかで、港内に停泊している軍艦のマストが冬木立のように見える。のんびりした違和感のようなものを詠んだのであろう。

軍関連の碑と並ぶと突き放した第三者としての視点が異彩を放っている。当時の横須賀港は、観光地の目玉でもあったということが改めてわかる。
  

軍艦沖島の碑。

「横須賀や 只帆檣の 冬木立」正岡子規の句碑。
   


(3)海上自衛隊横須賀基地

■まじかに軍艦が見られるポイント
平成の時代に、はじめて横須賀港を訪れた若い人たちの正直な感想は「えっ、こんな近くで、軍艦が見られていいの?」。

軍艦や兵器と言えば各国をあげて開発競争が繰り広げられているトップクラスの機密の塊といってもいい。
敵に手の内を知られれば、対策が講じられて、兵器は無力化する。そんな軍艦をこんな近くで簡単に誰でも見られて大丈夫なのか・・・と気になるのだが、外から見る程度では、なんの問題もないのだろう。
そんな簡単に中身が分かるようなつくりでは兵器として失格でもある。

横須賀港の魅力は、運が良ければ、そうした最新鋭の軍艦がまじかに見られるところにある。海上自衛隊が保有する軍艦は、大湊、横須賀、舞鶴、呉、佐世保のどこかに所属している。

横須賀総監部には、ヘリ空母の「いずも」や南極観測船「しらせ」をはじめ多くの軍艦が所属しているので、ここにはいつも何隻かが停泊している。

ここに所属していない戦艦が、訓練等で寄港することもある。何度か訪れただけでも、ヘリ空母の「いずも183」「ひゅうが181」、さらには補給艦の「おうみ426」、護衛艦「すすなみ114」、イージス艦の「あたご117」などが湾内に停泊していた。

戦争は反対、と思う一方で、技術の粋を集めた戦艦の究極の機能美に触れると、単純に、その姿に感動し、凄いなあと思う。

いかにも頑丈で重そうな鉄の塊が海に浮くのも驚きならば、大きな塊が動く姿もまた壮観である。この感覚は、一度、目の前に見てみないと分からないかもしれない
  

ヘリコプターを搭載した空母「いずも」。19,500トンで、最大ヘリコプター14機を搭載可能。全長248メートルもあり、近くで見ると大きい。海上自衛隊保有している艦船の中で最大のもの。これで時速30ノットで航行できるのだから驚異のパワーだ。

補給艦「おうみ426」。13,500トンだが、補給品を積み込むと最大25,000トンになる。全長221メートルは遠くから見ていても大きい。湾岸戦争の当時、インド洋に出て補給活動を行った艦である。この艦には、女性用の居住区が設けられている。護衛艦「すずなみ114」。護衛艦というのは、イージス艦やヘリ空母などを護衛する艦である。

護衛艦「あたご177」。イージス艦で、正面に見える六角形のマークがイージス艦の命であるレーダー。遠くの敵機を正確に探知できる索敵能力、迅速に状況を判断・対応する情報処理能力、一度に多くの目標と交戦できる対空射撃能力を備える画期的な装置である。
   



   


 
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