殖産興業・富国強兵――<br> 日本の近代化を支えた横浜の洋館・建造物                                              
                     
                   
日本の近代化を支えた――
横浜の洋館・建造物・産業遺構
   
   
   
         
     
 
  055 桜道橋・山手隧道

   
 
山手隧道を抜けた麦田町側の入り口。手前の上に見えるアーチ状の橋が桜道橋で、橋の上を桜道が通っている。


   桜道橋とは、山手地区の桜道に作られた、人道橋である。近くにある山手隧道とセットで作られた珍しい橋でもある。
 山手地区は横浜中心部の南に位置する丘陵地である。その丘陵地を越えるために、抜ける隧道が作られている。その一つが山手隧道で、市内の幹線道路の一つである本牧通りが、横浜市役所の前から横浜スタジアムの西を通り、西の橋を渡って元町へ、その先、麦田町−山手警察署前を通って間門に至る。その元町五丁目から麦田町交差点までの間に、トンネル(隧道)が作られている。

 
 
本牧通り、山手隧道の一方通行の元町側の出口。


 もともとは、明治44(1911)年、横浜市電専用の隧道として全長215mの本牧隧道が開設された。しかし、市電専用だったことから人・車も通れるように、との要望も出てくるようになり、大正12年に発生した関東大震災の復興事業の一環として、昭和3(1928)年、市電トンネルの西側に並行して全長268mの山手隧道が建設された。
 アーチ型の断面で、当時の道路トンネルの幅員としては日本最大であった。
 そして、昭和47(1972)年に市電が廃止されると、本牧隧道は第二山手隧道と改称された。昭和51(1976)年に、本牧隧道は、南行き(元町→麦田町)一方通行の道路トンネルに改められ、従来の山手隧道は北行き(元町←麦田町)一方通行とされた。
 本来の古い隧道が第二山手隧道、新しい隧道が山手隧道と、名称が逆転してしまったのである。

 一方、山手の桜道は山手公園入口から山手公園に突き当たって西に反転し、本牧通りをまたいで、地蔵坂上で山手本通りと合流する。本牧通りは路面レベルを走るが、桜道は、山手の丘陵の高台を走る。そこで、本牧通りを渡るために、高架橋が必要なのである。
 
 
桜道から本牧通の山手隧道を見たところ。


 説明だけではなかなかわかりにくいので、写真を見ていただいた方がいい。
 関東大震災で大きな被害を受けたこの地区も復興事業の一つとして道路が整備される際に、下を走る本牧通りの山手隧道と、上を走る桜道の人道橋が一緒に整備されることになった。昭和3(1928)年のことである。

   山手隧道も、桜道橋も、設計は内務省復興局復興局、施工は間組で、市認定歴史的建造物に指定されている。どちらも鉄筋コンクリート製に石を張っている。特に麦田町側は、手前の上路式のアーチ橋である桜道橋が、隧道への関門か鳥居のように見え、本牧地区から関内地区に入るゲートとして、それを意図していたわけではないだろうが、意匠を合わせて非常に重みが感じられる。
 
 
桜道橋の上。2車線だが、車は少ない。


 桜道橋は、歩道が片側にしかなく、車道としてはぎりぎりすれ違えるとしても、無理なく走るとすれば、ほぼ1車線である。地蔵坂へは登りの一方通行で車の通行も少ない。つまり、ほぼ人道橋である。
 目には見えないので確認はできないが、桜道の路面下には、明治10年代に設置された房州石造りの下水管が通っていて、現在でも現役で使われているという。
 「元町・山手地区の震災復興施設群」として土木学会選奨土木遺産に認定され、近くの山手公園には近代下水道記念碑が残る。ついでに寄ってみてはいかがだろうか。
               
 
桜道橋は、長い歴史の中で、苔むし、蔦が張っている。
 
鉄筋コンクリート製の橋だが、表に石が積まれていて、擁壁もしっかりしている。
  
       
≪洋館・建造物・産業遺構-索引ページへ≪
≪前ページ「浦舟水道橋(旧西の橋)」へ≪
   





Copyright(C)  2018, Fumihiko KAJI. Japan