殖産興業・富国強兵――<br> 日本の近代化を支えた横浜の洋館・建造物                                              
                     
                   
日本の近代化を支えた――
横浜の洋館・建造物・産業遺構
   
   
   
         
     
 
  053 霞橋(新山下橋・旧江ヶ崎跨線橋)

   
 
淡いカラーリングが青空とマッチして、桁の細さもあり、スマートに見える。
とても古い橋とは思えない新鮮さがある。


   ■環境に溶け込んだカラーリング
 山下公園通りを本牧に向かって進み、山下橋を渡り、新山下1丁目交差点を左折すると100メートルほど先に薄い水色の橋が見える。これが霞橋である。
 長さ32.96メートル、幅が6メートル(車道4m、歩道2m)、下路式のプラット・トラス構造で、上部のマス目のようなデザインも独特だ。背が高いのは、鉄道用の橋梁として作られたものだから、その分の高さがあり、かさの高い荷物を積んだトラックも十分に通行できるように考えられている。
 高い橋桁の鉄材の薄い色が空の青さと周囲のビルの白さに映えて、うまく溶け込んでいるが、その光景は脳裏に焼き付き印象に残る。わざわざここのために作られた橋のように思えてくる。
 移設された経緯が記された説明版も橋の横に置かれている。この橋がこれまで2度移設されて、3度目のお役目だ、と聞くと、こうして移設するにあたって改めてデザインし、手を加えが方々のセンスに拍手したくなる。

 
 
上部の網目構造の幾何学模様が空に映えて美しい。向こうに見える新山下1丁目交差点の先の山の上は、
「港の見える丘公園」展望台。


 使いまわされてきた歴史的な古い橋、そんなイメージを見事に覆す、あまりにハマった存在感である。移設するにあたってのデザイン、手の加え方、そして何よりカラーリングの妙というべきか。感動的な、いい仕事がされています。
 
 
奥に見える、港の見える丘公園の展望台から見ると、こんな光景が広がる。
画面の真ん中に見えるのが霞橋。ベイブリッジの手前にしっかり自己を主張している。



 ■鉄道橋として建造される
 いま、霞橋として利用されているこの橋は、明治29年(1896)に日本鉄道土浦線隅田川橋梁として作られ、設置されたもので、200フィートのプラット・トラス2連(60.96m×2)と60フィート鉄桁19 連(198.28m×19)から成る全長約470mの橋梁であった。
 イギリス人技師の指導の下に日本人が設計し、イギリス製のハンディ・サイド(Handy side)社から鋼材を輸入、日本で組み立てを行った。
 路線に合わせた複線式のプラット・トラスは日本で初めての構造だった。「霞橋」として使われているのは、このうち200フィートプラットトラス2連部分だ。
 しかし時代とともに機関車の荷重が重くなり、隅田川橋梁は、関東大震災後の昭和3(1928)年に架け替えられることになり、橋は撤去された。
 そして、昭和4 (1929) 年に新鶴見操車場が建設されると、200フィートのプラット・トラス2連部分が移設され、東北線の「荒川橋梁」(明治28(1895)年竣工)から移設されたポニートラスなどと組み合わされ、横浜市鶴見区と川崎市幸区を結ぶ「江ヶ崎跨線橋」として、活用された。

 
 
霞橋の前身、荒川橋梁として作られて以来の来歴や構造が説明されている案内板。


 「かながわの橋100選」、「鉄の橋百選」、「日本の近代土木遺産」にも選定された橋だが、老朽化による危険性が指摘され、老朽化や幅員不足などにより跨線橋としての活用をあきらめ、2007年から架け替え工事が行われて平成21 (2009) 年に撤去された。
 しかし、歴史的建造物として何とか再生させたいとの思いもあって、腐食の進んでいない部材を保存していたところ、ちょうどそんなタイミングで、架け替え予定であった新山下の3代目「霞橋」として再生させたいという話が持ち上がり、平成25 (2013) 年、霞橋での再利用が実現した。
 こうして、オリジナルの様式や部材をできる限り残すかたちで200フィートのプラット・トラス2連のうち、傷みの少ない分を切り出して32.96mの長さに再結合し再生された。
 設計は、横浜市・(株)オリエンタルコンサルタンツ、施工は北日本機械(株)・日本鋳造(株)。取り付け道路なども整備され、橋のたもとに、明治29年(1896)に作られてからの来歴などが記された案内板と、江ヶ崎跨線橋から運ばれた支承1個がモニュメントとして置かれている。

 
 
新山下一丁目交差点の歩道に、霞橋のしゃれたタイルがアイキャッチのようにはめられている。
こんなちょっとした工夫も気が利いていておしゃれでうれしい。


   近くの橋が新設される中で、周辺住民に対して、中古の橋を活用するというマイナスイメージを払しょくするためにデザインにも留意し、橋のライトアップにも取り組むなど積極的なPRも展開したことが奏して、住民の賛意も得られた。
 この結果、横浜市の歴史的建造物に認定され、平成26(2014)年に土木学会田中賞を受賞。同賞を受賞した橋の中では霞橋は最も短い橋だという。このほか横浜市都市整備局主催の「横浜・人・まち・デザイン賞」まちなみ景観部門などを受賞している。
 周囲の建物があまり高くないのもいい。これも一見の価値ある橋だ。
 
 
橋の手前のたもとに、江ヶ崎跨線橋で使われていた支承「沓」が1個モニュメントとして置かれている。


       
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