殖産興業・富国強兵――<br> 日本の近代化を支えた横浜の洋館・建造物                                              
                     
                   
日本の近代化を支えた――
横浜の洋館・建造物・産業遺構
   
   
   
         
     
 
  046 汽車道、港一号、二号、三号橋梁

   
 
桜木町から汽車道を経由して新港地区にかけて貨物用の鉄道路線(臨港線)が敷かれていた。

 
 
現在は、桜木町・日本丸メモリアルパーク横からワールドポーターズ−赤レンガ倉庫を経て、
象の鼻パーク−山下公園へと続く遊歩道として整備されている。

 ■手狭になった港の拡張計画
 1859年に米をはじめとして英仏蘭露の5カ国の要望に応える形で横浜港を開港したが、外国人に用意された港湾施設は、いくつかの小さな桟橋だけだった。しかし、いざ開港してみると、来航する船舶が大型化し、人員も積み荷の量も増え、だんだん処理することができなくなってきた。
 明治20年代になると、欧米の先進的な港湾施設や、今後の物流の在り方など情報が届くようになり、何より、H.S.パーマーら外国人専門家の意見書などがきっかけとなって、日本にも、欧米並みの港湾を持ちたいという要望が生まれてくる。
 明治政府にとっては、欧米に負けない力をつけることが大きな課題でもあり、欧米の施設をこえる港湾を作ることが大きな目標になってくる。追いつけ追い越せの標語は、すでにこの頃に私たちの中に芽生えていたわけだ。というよりも、もっとずっと前から私たち自身の中にあった性向かもしれない。

   そんな時に出されたのがパーマーの新港計画書で、大型の船舶が接岸できる桟橋の建造、貨物を保管できる倉庫の建設、さらには迅速な荷役処理ができる荷役処理設備、迅速な輸送の実現・・・などを盛り込んだ、新しい港湾計画であった。
 当時、欧米の進んだ港では、鉄道路線を埠頭に引き込み、大型船舶でついた積み荷を降ろすと同時に、鉄道に積み込んで輸送する、といった一貫輸送方式が推奨され、すでにいくつかの港で実現し、ハブ港として人気を集めていた。
 最終的にはこうした仕組みを目指して、海を埋め立て、明治32(1899)年に新港計画が作られた。この時に整備された一角を、拡張された現在でも新港地区と呼ぶ。桜木町から汽車道を行き、ナビオスから先、赤レンガ倉庫までの一角が新港地区である。
 大型の船舶が接岸でき、鉄道線路が敷かれ、倉庫も整備され、税関もできて、旅客を扱う駅までが作られた。世界でも最新の港湾施設だったのである。最終的に完成した姿が下の新港鉄道路線図である。
 現在この地区は再開発が進められていて、2019年秋には、ハンマーヘッドパークとして再デビューする予定である。

 

 桜木町、1号ドックの横から新港に向けて海の中を伸びる汽車道。遊歩道になっている。


 ■汽車道の遊歩道
 桜木町の駅前、1号ドックから、右からくる大岡川を越えて、港を横切るように一本の道が、新港地区に向かってのびている。これが貨物用の鉄道として明治42(1909)年に整備された臨港鉄道の貨物線の線路だ。いまは「汽車道」と呼ばれている。
 新港の岸壁から入出荷する貨物を輸送するために作られた鉄道用の土手で、いまでは一部線路が残されて、ワールドポーターズのある運河パークに達する約500メートルの遊歩道となっている。
 この汽車道は、横浜港開港120周年記念や、開港150周年の横浜博覧会などでも、貨物路線の東横浜駅−山下埠頭までの間で蒸気機関車を走らせている。ちなみに、新港地区や山下埠頭に転車台は設けられていないので、復路は蒸気機関車がバック運転をしたそうだ。探してもその動画は見られなかった。残念。

 
 
かつて蒸気機関車がの持つを輸送した汽車道。手前は大岡川だが、ここはほぼ海水だ。


 この土手の汽車道は、小型船が通り抜けられるように、3つの橋が設置されていて、手前から港一号橋梁、港二号橋梁、港三号橋梁と呼ばれている。
 間に挟まれた2つの小さな土手道の人工島を3つの鉄橋がつないでいて、土手道と2つの人工島(正式名称は「新港連絡線鉄道線路護岸」という)、3つの橋梁は、それぞれ横浜市の認定歴史建造物に指定されている。
 ところどころに、枕木とおぼしき太い木材でシンプルなベンチが設置されているので、心地よい風に吹かれながら一休みするのもいい。

 ■港一号橋梁・二号橋梁
 港一号橋梁と港二号橋梁は鉄道院が設計し、明治40(1907)年にアメリカン・ブリッジ・カンパニーで製作されたもの。港一号橋梁は30フィートの桁橋2連と、100フィートのプラット・トラス橋(垂直のけたが入れられている)、港二号橋梁は100フィートのプラット・トラス橋。
これらが架けられたのは、明治42(1909)年で、親橋の表に製造者の「AMERICAN BRIDGE COMPANY, OF NEWYORK,USA,1970」 銘板がつけられている。仰ぎ見るような位置にあるけれど、見やすいので、確認してみよう。
 
 
汽車道を入ると最初にある港一号橋梁。1907年にアメリカで作られたプラット・トラス橋。


 汽車道の土手部分は、石、タイル、線路間は板で舗装されているが、橋の上は板張りのボードウォークになっていて、歩きやすく心地いい。
 港二号橋梁を過ぎて、運河パークにつく前に、道はゆるく右にカーブし、先に横浜国際船員センター「ナビオス横浜」の凱旋門風のビルが見える。その手前の、汽車道が終わる寸前の左手にあるのが港三号橋梁だ。
             
 
 
港二号橋梁。一号橋梁と同じアメリカ製の100フィートのプラット・トラス橋。

 ■港三号橋梁
 この橋は、港一号、二号と違って橋桁が低いイギリス系のワーレン・トラス橋。左右だけで上の横木がないポニー形の100フィート橋。橋のけたがW形で支えられているのが特徴。日本最初の鉄道橋(旧六郷川橋梁)も、ポニー型のワーレン・トラス橋。設計は同じく鉄道院、作ったのは川崎造船所兵庫分工場。
 この橋梁はここのために作られた橋ではなく、明治39(1906)年に北海道炭礦鉄道夕張線の夕張川橋梁として架けられ、昭和3(1928)年に、横浜の大岡川に架かる旧生糸検査所(現:横浜第二合同庁舎)引き込み線の鉄橋の一部として利用されて廃止されたものを、汽車道整備の際に2メートルほど短縮して転用した。
 3つの橋の中でも一番古く作られたものだが、ここに来たのは平成9(1997)年と新しく、ここで3度目のお務めを果たすことになった。
 
 
港三号橋梁。イギリス系のポニー型の低いワーレン・トラス構造で、作ったのは川崎造船所兵庫分工場。


 汽車道と3つの橋梁。海を渡ってくる風も心地よく、また、振り返ってランドマークタワーやみなとみらいのビル群、コスモクロックなど眺めるビューポイントとしてもおすすめ。向かいの北中地区が再開発中なので、完成すれば新横浜市役所なども真正面から見られる。
 ナビオスから先に進めば、ハンマーヘッドパークとして再開発が進んでいる新港地区に入り、500メートルほどで赤レンガ倉庫があり、その先に象の鼻、大さん橋、山下公園とつながる観光の入り口でもある。

 
       
≪洋館・建造物・産業遺構-索引ページへ≪
≪前ページ「横浜橋梁1号ドック(日本丸メモリアルパーク)」≪≫次ページ「旧横浜港税関跡・旧横浜港駅跡・ハンマーヘッドクレーン」へ≫
   


 
   





Copyright(C)  2018, Fumihiko KAJI. Japan