殖産興業・富国強兵――<br> 日本の近代化を支えた横浜の洋館・建造物                                              
                     
                   
日本の近代化を支えた――
横浜の洋館・建造物・産業遺構
   
   
   
         
     
 
  041 ホテル ニューグランド本館

   
 
山下公園の緑に映えて美しいホテルニューグランド。


 山下公園の前に建つわが国有数のクラシックホテル。横浜のもう一つの顔といってもいいだろう。できたのは昭和2(1927)年。
 横浜には開港以来、要人を泊める高級ホテルがあり、このホテルの前にも、当時の横浜を代表するホテルとしてグランドホテルがあった。
 ところが。このホテルが関東大震災を受けて倒壊してしまった。その後、簡易ホテルが作られたが、テントホテルと呼ばれるような状態で、とても要人の用に供するようなものではなかった。
 こうした中で、横浜にふさわしい格調高いホテルが欲しいとの声を受けて、神奈川県や横浜市は、地元の政財界からも出資を募って、新しいホテル建設の計画をスタート。横浜商工会議所が中心になって建設されることになり、新しいホテルは、グランドホテルの名を冠して「ホテル ニューグランド」と名付けられた。
 
 
正面入り口。新館の高層棟ができたので、入り口はそちらが利用され、こちらは静かだ。ゆっくり鑑賞できる。


 平成4(1992)年には横浜市認定歴史的建造物の指定を受け、平成19(2007)年には生糸の輸出に関連して経済産業省の近代化産業遺産の認定を受けている。
 鉄骨鉄筋コンクリート造5階建、設計は渡辺仁。国立博物館や日比谷の第一生命館などを手掛ける一方、北品川の原美術館や銀座和光などを作品も残している。
 
 
山下通りを来ると、歩道にひさしが出ている。天井が低めの1階、高い2階、3-4階の客室という区分が
よく分かる。落ち着いたアール・デコ装飾が重さを感じさせる。



   ■マッカーサーと大佛次郎、そして「天狗の間」
 以来90年、ホテル ニューグランドは、横浜いや日本を代表するヨーロッパスタイルの正統派ホテルとして、横浜の歴史と共に歩んできた。このホテルがいかに高い評価を得ているかは、マッカーサーが戦後に来日した際、コーンパイプを手に厚木に降りた後、このホテルに直行し、日本占領の最初の3日間をここで過ごしたという一時からも想像できる。
 種を明かせば、マッカーサーは2度目の結婚相手であるジーン婦人との新婚旅行で、このホテルに宿をとった、という記録があり、それもあってここを利用したのではないか。第二次大戦で、ここが空襲にあわなかったのは、マッカーサーが意図的に爆撃対象から外したのではないかと、書いたのはこうしたことがあったためである。真相は定かではない。
 
 
中庭。ほっとするような英国風の落ち着いたたたずまい。ここで午後ティーを味わうのも旅のひと時に悪くない。



 厚木から直行してマッカーサーが利用したのは港を正面にした318号室。鞍馬天狗、パリ燃ゆ、などを残した作家の大佛次郎は、ここに滞在して執筆したのもよく知られるところだが、彼の部屋は315室、やはり港を正面に見るこのホテル看板の部屋である。いま、この部屋は天狗の間と名づけられて、予約すればだれでも宿泊できる。港の見える公園にある大佛次郎記念館見学とともに、一泊いかがですか?
 もともとあったグランドホテルは、居留地20番地だったが、ここは居留地10番地、いまでは山下町10番地。少し大さん橋の方に近づいたことになる。

   ■フランス料理の出発点
 当時発行された『建築雑誌』昭和3年2月号によると、敷地は1,099.718坪、建坪552.482坪、延坪2,268.452坪。外観は『細部に新味の手法を用ひたる近世復興式』。口ビーは「英國式雄渾快活なる色彩と細部に東洋的手法を配し日本の第一印象を付与するに努め」、大食堂は「純日本式殿堂風の廣間にして東洋?術の粋たる桝組蟇股を配ひ」と紹介されている。
 総体として意匠は落ち着いたアール・デコ調で、1階、2階、3・4階以上の3つの構造が異なる3層構成。1階を地階として天井を低く、2階の天井を高くして主階としている。3階以上が客室。1階正面を入ると、2階への階段があり、自然と2階に導かれるようになっている。そのため、2階の装飾に見るものが多く、和洋を融合した独特の雰囲気を奏でている。
 
 
1階から2階ロビーに通じる階段。エレベーターホールを見上げる光景。櫛型の大きなアーチが素晴らしい。階段の両脇、手すりは、イタリア製のタイルだ。



 ホテル料理人の人脈には、東の帝国ホテル系とニューグランド系、西のオリエンタル系などがあるが、フランス料理の料理人、ボーイも多くをここから輩出しており、昭和60(1985)年くらいまではニューグランド出身ということが一つの看板になっていた。
 平成3(1991)年には、地上18階・地下5階のニューグランドタワー棟が完成し、バーシーガーディアンも、高層階に移動、港の眺望が素晴らしくなった。
 長年の経験で磨きあげられた宝石のように輝くホテル、一つの都市の歴史を物語るホテルとして、貴重な存在である。

 
 
2階ロビー。窓の外に山下公園の緑とその先に横浜港が見える。壁はタイル、天井の梁の漆喰装飾が昔のまま残されているのが素晴らしい。


       
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