殖産興業・富国強兵――<br> 日本の近代化を支えた横浜の洋館・建造物                                              
                     
                   
日本の近代化を支えた――
横浜の洋館・建造物・産業遺構
   
   
   
         
     
 
  036 横浜市発展記念館・横浜ユーラシア文化館(旧横浜市外電話局)

   
 
交差点側から見た光景。1階の窓が半円アーチで、2〜4階は四角、このコントラストが味を出している。


 ■一つのビルを使いわけ
 横浜市発展記念館と横浜ユーラシア文化館は、一つの建物に入っている施設である。かつての市外電話局の交換所で、横浜情報文化センターのとなり。建物がくっついているので、一つと思いがちだが2つのビルが背中合わせにある。
 昭和4(1929)年に旧横浜市外電話局として建てられたもので、鉄筋コンクリート造り、地上4階建て、地下1階。この地下に、みなとみらい線日本大通り駅ができた。
 この建物は、もともと横浜中央電話局本局の市外電話の交換所と事務室として建てられたものだった。そもそも日本で電話サービスが始まったのが明治23(1890)年、東京−横浜で始まった。

 生糸貿易で全国の生糸が集まる横浜では市外通話が多く電話交換の需要は、明治末から大正時代にかけて、ウナギ上りに増えていた。当時、電話をしようとすれば、すべて交換士を通して線をつないでもらうしかなかった。
 市外電話の交換所というのはまた意味があって、当初、電話をかけるときは受話器を取って交換士を呼び、接続する相手の番号を伝えて繋いでもらった。しかしそれでは電話の普及とともに多数の交換士が必要になることから、自動的に接続できる自動交換機が開発され、日本では関東大震災後の復興を機に、順次導入されていった。
 しかしそれも限界があり、かける相手先によって料金などの複雑な計算が必要になることから、当初自動交換機が導入されたのは首都圏の市内通話に限られていた。なので、市外電話交換業務が必要だったのである。

 ちなみに、初の市内電話専用で自動交換機が導入されたのは昭和2(1927)年。順次普及して、東京都から全国への電話が自動になったのは昭和40(1965)年で、全国が自動でかけられるようになったのは昭和54(1979)年のこと。スマホ全盛の時代には想像もつかないが、つい40年前まで交換士が電話の中継をしていたのである。
 

 かつての入り口。窓と同様、半円アーチになっている。もともと出入りのあるビルではないので、
玄関は小さい。



   ■電話からインターネットへ
 関東大震災後、生糸需要の拡大とともに、全国、世界から商社が集まり、市外電話の需要が急増したことから交換業務の拡大が求められ、こうして最新の交換機とともに事務所機能を持ったオフィスとして建てられのが、この市外電話交換局だった。逓信省の時代だ。
 そして、戦後になって昭和27(1952)年電電公社が発足、60(1985)年には民営化されNTTへと変化するなかで、需要も減少、海外電話の交換所として利用されてきた。
 平成10(2000)年ころからインターネットの普及もあって横浜市の施設として活用が図られ、平成15(2003)年にリニューアルし、2階が横浜ユーラシア文化館、3階が企画展示室、4階が横浜都市発展記念館という二つの博物館として再出発した。
 裏側にある入り口の前のスペースには、都市の発展にまつわる、下水道管や、神奈川台場の遺構などが展示されている。
 
 
裏側にある入り口。右上に見える段差のある窓は階段室の窓。この斜めの明り取りの窓が建物のアクセントになっている。入り口前の広場に、横浜の都市発展・復興にまつわるさまざまな設備が展示されている。一番手前は明治初めに敷設された卵型下水管。


 昭和の初期に建てられた逓信省の建物は、各地で残されているが、基本的に外壁がタイル張り、色はここのようなチョコレート色や濃緑、ベージュ、白などさまざま。四角い窓に黒い窓枠、1,2階の間に白い太いラインなどが特徴になっている。
 設計は、逓信省営繕課、無駄な装飾を避け、シンプルな中に、落ち着いた雰囲気を醸し出している。上品な意匠といっていいだろう。
 いま、各地で、旧逓信省の建物がブライダル施設などに変身して話題になっている。そうしたことが可能にある意匠だということでもあろう。
 

 建物の裏に、消防救急発祥の地の碑と居留地消防隊の地下貯水槽の遺構があり、
ガラスがはめられていて上から覗けるようになっている。


       
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