殖産興業・富国強兵――<br> 日本の近代化を支えた横浜の洋館・建造物                                              
                     
                   
日本の近代化を支えた――
横浜の洋館・建造物・産業遺構
   
   
   
         
     
 
  034 旧日本綿花横浜支社・倉庫(ZAIM)

   
 
横浜公園の正面に見えるビル。左側が日本大通りで事務所棟、右が倉庫棟。


 日本大通りの出発点、横浜公園前にある小さめのしゃれたビルで、このビルも、2棟が同じモチーフで並んで立っている。日本大通りに面した角にあるのが事務所棟、その隣、中区役所との間にあるのが倉庫棟である。
 日本大通り、横浜公園前という利便性から、所有者がたびたび変わり、そのたびに呼び名も変わって、その意味では数奇な運命をたどってきたビルである。
 昭和3(1928)年に建てられた鉄筋コンクリート造りの地上4階、地下1階。設計は、もともと大阪の商社なので大阪の渡辺建築事務所に依頼している。
 日本綿花鰍ヘ明治25(1892)年に創業した大阪の商社で、名前の通り綿花を輸入する目的で作られた会社だった。大正9年に横浜に進出し、山下町に支店を出している。
 その後、関東大震災後、横浜公園を前にしたビルを建てて移転、昭和18(1944)年に日綿実業梶A昭和57(1982)年に潟jチメンと社名を変更している。
 
 
日本大通りに面した面の真ん中に玄関。巻貝を模した付け柱やアカンサスの模様など装飾がみられる。



   ■米軍の接収を経て数奇な変遷
 戦後は米軍に接収され、兵站司令部として使われた。接収が解除になったのは昭和27(1932)年で、昭和29(1954)年からは国の所有になり、昭和35(1960)年から大蔵省関東財務局横浜財務部、同59(1984)年からは同省横浜財務事務所として使われてきた。
 その後、平成18(2006)年からは横浜市の施設「ZAIM」として、アーチストたちへの貸しスペースとして使われてきた。その後、改装などを経て、現在は複合ビルとして店舗やオフィスに貸し出されている。
 
 
2棟の間に屋根を付けて、イベントなどが行えるスペースとして使われている。


 一方、隣の倉庫は、接収解除後、昭和39(1964年)からは神奈川県労働基準局の庁舎となり、平成15(2003)年に横浜市が取得、平成26(2014)年には当初のデザインを生かして改修を行い、現在は中区の区民センターとして用いられている。横浜市の歴史的建造物に指定されている。
 横浜市内の建物は、戦後の米軍による接収という洗礼を経て、数奇な変遷を余儀なくされている。これがなければ、どうなっていたか。米軍だから残ってきた、接収されていなければ解体されていたのではないかという意見もあるが、複雑なところだ。
 2棟のうち、事務所棟は日本大通りに面していて、正面玄関がそちらにある。2棟は、同じスクラッチタイルで作られているが、事務所棟の方は入り口に階段があり、外壁でみても分かるように腰壁がある分高くなっており、屋上の位置を見ても事務所棟が高い。
 
 
外壁のスクラッチタイル。


 腰壁の石は静岡産の安山岩を江戸積のように切込んでタイルとして張り付けている。
玄関周りと最上部のコーニスに装飾が施されていて、玄関周りは石材で、巻貝柱を模した付け柱に、アカンサスの模様がある。この上、2階の窓の前にバルコニーを模した手すりの装飾があったようだが、これらは、いまはない。最上部にはテラコッタが使われている。
 
 
外壁最上部にあるコーニスのクラシックなテラコッタ(陶器)の装飾。


 窓は縦長で規則正しく並べられており、もともとは上下のスライド式。改修でサッシに入れ替えられている。
 2棟の間は、5メートルほど、この隅に事務所棟と倉庫の間を通路のような部分があったようだが、それもこの間に取り外されている。このビルの間に屋根を整備し、いまは、テーブル等を置いて、イベントや飲食などができるようなスペースにしている。
 横浜公園の前、日本大通りの入り口に立つこのビルは、昭和初期の商社のオフィスと倉庫の様子を伝える貴重な遺構であり、調和のとれた保存と活用を期待したい。

       
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