殖産興業・富国強兵――<br> 日本の近代化を支えた横浜の洋館・建造物                                              
                     
                   
日本の近代化を支えた――
横浜の洋館・建造物・産業遺構
   
   
   
         
     
 
  033 三井物産横浜ビル・日東倉庫

   
 
日本大通りに面して建つ優雅な姿。とても100年以上前に建てられたビルの古さは感じられない。


 日本大通りをはさんで、横浜地方裁判所の向かいに立つのが三井物産横浜ビル。その裏に日東倉庫のビルがあったが、残念ながら平成27(2015)年に取り壊されてしまった。
 表の三井物産ビルは、写真を見ても1棟に見えるが、実は、向かって左半分の1号館(明治44(1911)年建設)と昭和2(1927)年に増築した右半分の2号館からなるビルで、1号館は日本で、初めて鉄筋コンクリートで建てられたオフィスビルとして知られている。
 裏の日東倉庫の方はさらに古く、前年の明治43(1910)年に建てられた建築史的にも技術的にも非常に貴重なビルだったのだが、とても残念だ。
 明治43、44年ころといえば、生糸貿易が真っ盛りの時期で、ここから昭和の初めにかけて、三井物産が急激に成長している時代。事務所棟を増築するというのがそれを物語っているといえる。横浜の生糸貿易の姿を伝える意味でも貴重な建物である。
 
 
ビルの内部は建築当初からは何度か改装されてしまっているが、
このオーチス社製のエレベーターはそのまま。これも貴重だ。


 ■幕府の命を受けて三井組(三井物産)が開港場に出店
 三井物産(前身は、三井組)の横浜での活動は古い。
 横浜が開港した1859年といえば、新選組が結成される(1863年)4年前、京都の町では、尊皇派×攘夷派が暗躍し、緊迫しつつあるころである。ペリーのこわもて外交と相まって、大勢は、攘夷の意見に傾きつつある中での開港である。

 そもそも港を開いたからといって、海のものとも山のものともわからない開港場に進出する店舗があるのかと危惧する幕閣の意見を受けて、幕府は出入りの豪商に横浜開港場への出店を要請するが、その際に三井組もその一つとして出店したのが始まりである。
 さすがの幕府の口利き、いまの本町2丁目、馬車道と本町通りの交差点の一等地に店舗を構えた。事業は順調で、明治26(1893)年には合名会社になり、明治42(1909)年ころにこの日本大通りに移ってビルを建てたと思われる。

 できた順序で紹介すると、最初に作られたのは日東倉庫と呼んでいる、三井物産系列の日東倉庫株式会社の倉庫のことで、このビルは、三井物産の事務所ビルを建設するにあたってのいわば、露払い役のようにして建てられている。
 構造は、鉄筋コンクリートなのだが、壁はレンガ造り、屋根および柱は鉄筋コンクリート造り、床は木造という混構造の3階建て、地下1階。
 当時はまだ先進技術の鉄筋コンクリート造りの事例が国内にはなく、信頼性を懸念した設計者の、事務所ビルを建てるための確認のための事例づくりのニュアンスが強かったのではないか。倉庫は建築依頼内装がまったく変わらず貴重な姿をとどめている。

 ちなみにこの設計は、遠藤於?だが、この後に建てた事務所は米国で鉄筋コンクリート造りの経験を積んでいた酒井祐之助と分業請負と称して共同設計になっている。
 後に建てた事務所棟(1号館)は鉄筋コンクリート造り4階建て、地下1階。倉庫は壁などをレンガで作っていたところを、ここでは初めて全駆体鉄筋コンクリートで作っており、この2つの建物は、わが国で鉄筋コンクリート造りが始まった際の経緯を物語るものとして非常に貴重な建物なのである。v  
 
ビルからずんと出っ張った軒のコーニスが特徴だ。


   ■歴史的建造物としての「申請なし」
 事務所棟の入り口は、当初は現在の日本大通り側ではなく、日東倉庫がある日本大通りに面して作られていた。昭和2年に増築されてからは横の入り口も閉められることなく、そのまま使われている。

 事務所棟、最初の左半分が1911年に建てられた後、16年後の1927年に右半分が増築されたのだが、一見してまるで分らない。始めから一棟として建てられたといわれても違和感はない。
 外壁は、事務所棟、倉庫棟ともに白い化粧レンガタイルが張られ、壁の腰には花崗岩が張られている。事務所棟の特徴は何といっても、突出する軒の張り出し=コーニスで、シンプルな意匠ながら伝統を強く感じさせる。明治というよりも、昭和初期の建物の特徴を持っており、当時としては、極めて先進的な設計がなされたビルといえる。
 遠藤於?は、昭和の初めに、鉄筋コンクリート+レンガ張りで生糸検査所(現合同庁舎)を設計しているが、構造的には、基本的にこのビルの発展版と理解することができるが、外観デザイン的にみれば、張り出した軒と丸みを帯びた構造など、むしろこちらの方が優雅で美しいと考える専門家もいる。
 中で使われているエレベーターは建築当時のオーチス社製で、屋上には蛇口を備えた水洗便所のためのコンクリート製水槽が残されている。

 しっかり建てられた建物で、その意味では鉄筋コンクリートの黎明期に、歩留まりを多めにとって慎重に作られたということもあるかもしれない。関東大震災で一帯が全壊する中で、このビルは生き残り、震災後も直ちに営業を開始できたという。
 日東倉庫も、この三井物産横浜ビル棟も、申請さえすれば市の歴史的建造物として認可されることは間違いなく、市や専門家など周囲はそれを期待していたが、申請が出されないために、認定されていない。  
 
すぐ裏に日東倉庫(左のビル)があった。建築史上貴重な実験的鉄筋コンクリート造りのビルだったが、
平成27年(2015年)に取り壊されてしまった。


 日東倉庫は解体されてしまったが、歴史的建造物に指定されていても、指定解除願などが出されて解体は免れなかったかもしれない。私有財産なので致し方のないことではあるが残念だ。何とかこの事務所棟は、残してほしい。
       
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