殖産興業・富国強兵――<br> 日本の近代化を支えた横浜の洋館・建造物                                              
                     
                   
日本の近代化を支えた――
横浜の洋館・建造物・産業遺構
   
   
   
         
     
 
  032 横浜地方・簡易裁判所

   
 
低層階部分に昭和4年(1929年)に建てられた建物が復元されている。
追加された高層部分もカラーリングを合わせて違和感がない。表面は左右対称。


 ■大蔵省営繕管財局設計の裁判所
 日本大通りを横浜公園方面から来ると、本町通りとの交差点の左手前、県庁舎の手前にあるのが横浜地方・簡易裁判所である。本町通りを桜木町のほうから来れば、右に開港記念館を見て、その次のブロックの先、日本大通りを右に曲がれば横浜地方裁判所がある。
 関東大震災後の昭和4年(1929年)に作られた鉄筋コンクリート造り3階建て(一部4階)で、大蔵省営繕管財局の設計。

   50年を経過して老朽化したことで、昭和53年(1978年)から改修工事が行われ、平成12年(2000年)に低層部に旧横浜地方裁判所を保存・復元し、裏側に鉄骨鉄筋コンクリート造り13階、地下2階の高層新庁舎を建てた。
 
 
大きな半円アーチを正面、左右において、重厚なイメージを柔らかくしている。


 前の、横浜公園から横浜港へ走る広い日本大通りは、慶応2年(1866年)にあった豚屋火事と呼ばれる大火後、外国人居留地の地域開発事業の一環で、日本人街との間の防火道路として誕生した。道路の幅は、真ん中に12メートルの車道、その両側にそれぞれ9メートルの植樹帯+3メートルの歩道。

   この道路は、横浜公園とともに、イギリス人H.ブラントンの設計による、水はけを重視した基礎作り、地下には下水管なども埋設するなど、近代的な道路だった。
 現在は、車道が、片側1車線に狭くなっているが、道路全体の幅員は昔から変わっていない。関東大震災後に整備されて、昭和2(1927)年から3年間をかけて、街路樹としてイチョウの樹68本が植えられた。この道路は、この地区の都市開発の起点ともなっている基幹道路である。

   ■ちと残念な、建物を隠す街路樹
 ここで残念ながらというと街路樹を否定するようで心苦しいが、夏になると街路樹のイチョウがみごとに茂って、遠くから建物の全体像を視野に入れるのが難しくなっているが、建物の前面は左右対称の構成で外壁は神奈川県庁舎と同じスクラッチタイル。正面入り口の車寄せには、ルスティカ積み風の表面を粗くした花崗岩を張っており、左右の明り取り窓などを含めてアール・デコ風の装飾がみられる。
 
 
車寄せの玄関は、ルスティカふうに表面を荒く仕上げた石をコンクリートの上に貼って重厚感を出している。


 全体として重厚な雰囲気を持ちながら、表から目立つ左右の突部分の左右コーナーに丸みをつけて、柔らかなイメージを持たせるような工夫がなされている。  この裁判所の法廷には、日本では珍しく、陪審員席などが設けられている。
 かつてのこの裁判所、戦後は、GHQによるB,C級戦犯を裁く軍事法廷としても使用されたが、その法廷は平成9年に解体され、桐蔭学園横浜大学に移築、保存されている。
 復元された旧庁舎部分は、昭和初めの公共建築の典型的な意匠を残しているとして、県庁とともに、横浜市の歴史的建造物に認定されている。

       
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