殖産興業・富国強兵――<br> 日本の近代化を支えた横浜の洋館・建造物                                              
                     
                   
日本の近代化を支えた――
横浜の洋館・建造物・産業遺構
   
   
   
         
     
 
  026 赤レンガ倉庫(1号棟、2号棟)

   
 
赤レンガ倉庫1号館。2号館より長かったが、西側半分が解体されたために半分になっている。


 ■大桟橋から大さん橋へ
 最近、横浜港の顔となっている赤レンガ倉庫が作られたのは明治44(1911)年。横浜の埠頭といえば、大さん橋が代表的な埠頭だが、生糸貿易、いや、横浜港の海運という点では、大さん橋に勝るとも劣らない重要な埠頭があった。
 それが税関や鉄道・倉庫群と一体になった「新港」と呼ばれる埠頭だ。
 いま、大さん橋と書いたが、これは現在の呼び名で、かつては大桟橋と書いた。安政6年の開港時には、水深も少なく、いずれもはしけ用の東西の2つの小さな波止場と、象の鼻と呼ばれる曲がった埠頭が作られただけだった。
 貿易の拡大とともに大型の船舶を直接接岸できる埠頭が求められ、明治27(1894)年に作られたのが、メリケン波止場と呼ばれた幅約19m、長さ約457mの、海中に鉄のパイルで足を下した鉄桟橋=大桟橋だった。

 この大桟橋は幾度かの改修を経て長い間使われてきたが、船舶の大型化に伴ってさらなる水深と固定した埠頭が求められるようになったことから新たな埠頭の建設が進められ平成14(2002)年、現在の、幅110メートル、長さ450メートルの埠頭と新ターミナルが完成した。
 名称は「おおさんばし」とそのままの呼び名使っているが、桟橋ではなく、埋め立てた建造物=岸壁であるため、名前を「大さん橋」としている。本稿では、現在のものを「大さん橋」、平成14年以前のものを「大桟橋」と記述する。

 
 
赤レンガ倉庫2号館。建設当時のまま残されている貴重な遺産。耐震・対防火設計がなされていて、
関東大震災でも倒壊しなかった。


■新港――東洋初の接岸式埠頭の完成
 横浜港の近代化は、明治22(1889)年H.S.パーマーによる第一期築港工事によって始まり、鉄桟橋が完成するが、その後、日清戦争以降の貿易の拡大、船舶の大型化、そして、神戸など他の港との競争の激化などから、明治32(1899)年新たな大規模な港湾・埠頭建設の需要が高まり、第二期築港計画が採用された。
 第一期、二期計画で埋め立てられ、建造されたのが、いま、赤レンガ倉庫などがある新港地区である。
 この計画では、
 ・東洋では初の接岸式埠頭を建設する
 ・埠頭沿岸に上屋、倉庫を建設する
 ・横浜停車場と埠頭を鉄道で連結するv という画期的な構想が含まれていた。v  第一期工事として、埠頭部が作られ、第二期工事として作られたのが陸上の上屋、倉庫で、赤レンガ倉庫が作られたのは、この計画によってであった。
この計画で立てられた14の倉庫のうち、11棟が鉄骨づくり、3棟が木造の平屋建てで、鉄骨造りのなかの2棟が赤レンガだった。
 2棟を一緒に建てる予定だったが、計画途中に始めた日露戦争で戦費がかさんだことから中断され、2号倉庫だけが明治44(1911)年に建設され、1号倉庫は大正2(1919)年に完成した。
 
 
2号館を裏から見たところ。石畳が残されている。



■耐震・防火の最新倉庫――赤レンガ倉庫
 この倉庫建設計画の中で中核をなしたのが赤レンガ倉庫で、官営倉庫として建設された2棟だけがレンガ造り倉庫である。どちらも、床は鉄骨の柱に鉄骨梁をわたし、生子鉄板を載せ、その上にコンクリートを打った防火床構造。
 関東大震災で多くの港湾施設が崩壊した中で、この赤レンガ倉庫は1号棟の西半分だけの崩壊で済んだが、これはこの部分が崩れて火災が発生したために解体撤去されたもので、ほかの部分が倒壊を免れたのは、この倉庫が、煉瓦造りでありながら耐震補強がなされており、当時の煉瓦建造物の耐震性、防火性に関する技術的な発展段階の最終段階に達したものと高く評価されている。
 解体された1階西の側面は、デザインを踏襲して鉄筋コンクリートで補修し、表面にレンガを張っている。
 この倉庫は、横浜税関の施設として管理され、貿易業者にも貸出された。2棟がレンガの外壁で建設されたのは、貴重品を保管するため。洋酒、タバコ、羊毛、光学機械、時計などの高級品の倉庫として使用され、生糸もここに保管されていた。
 1号棟の西側、四角の塔の部分はエレベーターが設置されていたが、使用されていたオーチスのモーターが倉庫前に展示されている。
 
 
赤レンガ倉庫1号館前にあるエレベーターのモーター。オーチス製である。


 使われているレンガは合計で600万枚以上、これらがどこで作られたのか、すべては解体しないとわからないようだが、刻印から、愛知県高浜市・神谷清九郎製瓦所と東京都北区十条・斉藤煉瓦という2つの会社で作られたものがあることが判明している。
 愛知県高浜市というのは、横浜から少し距離があるようだが、設計を担当した妻木頼黄が前年に高浜市の近くにあったカブトビール工場の設計を担当し、工場に赤煉瓦を使用したことから、そのつながりで横浜でも使われたようだ。

■レンガは、イギリス積?オランダ積?
 当時のまま残されている2号倉庫は、長さ148.17m、梁間22.09m、棟高16.80m、平面積3,181平方メートル。レンガは、所有者の横浜市はオランダ積みと案内しているが、基本は、長手と小口を一段ずつ交互に重ねるイギリス積みである (オランダ積みとイギリス積みの違いは角の積み方、詳細は参考書をどうぞ) 。
設計図がどうなっていたのか不明だが、長手と小口を、段を変えて交互に積みながら、角の処理をいろいろにしている。オランダ積みも基本はイギリス積みなので、イギリス積み と言っておいた方が無難な気がするが、横浜市はオランダ積みとPRしている。
 
 
レンガは長手と小口を一段ごとに積むオランダ積み/イギリス積み。


 建設後の補修・改修・改築時の処理で変わってしまったのか、どうなのだろうか。
 北側全面にバルコニーを設け、2基のエレベーターが設置されている。床に鉄板が入れられた耐震・防火の倉庫で、関東大震災にも耐えた。
 この1,2号倉庫の周辺の路面は、敷石で整備されていたが、その一端が2号棟の裏に残されている。石畳の裏からこの倉庫を見てみると、異次元のスペースに入り込んだ感覚がある。
 設計者は妻木頼黄(よりなか)率いる大蔵省(現財務省)臨時建設部。周辺の土地は2号棟の裏の一部石畳を残して、整地されてしまっている。現在は、1,2号棟と間のスペースが店舗や展示スペース、ホールなどに利用され、各種イベントで休日には多くの人でにぎわっている。
 後述するが、2号棟の裏には、関東大震災により崩壊してしまったがかつて横浜税関の支所があり、その遺構も保存されている。また、鉄道を引いた埠頭として使われた時代に設けられていた「横浜港駅」も再現されているので、あわせて見ることができる。

 
 
赤レンガ倉庫2号館のすぐ裏には、横浜税関の支所があった。その遺構が一部掘り起こされて保存されている。レンガ積みの建物だったことが分かる。このすぐ裏に、「横浜港駅」があったが、1本のホームが復元されている。


       
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