殖産興業・富国強兵――<br> 日本の近代化を支えた横浜の洋館・建造物                                              
                     
                   
日本の近代化を支えた――
横浜の洋館・建造物・産業遺構
   
   
   
         
     
 
  022 横浜松坂屋西館(旧松屋横浜店 )

   
 
伊勢佐木町に面して建つ横浜松坂屋西館。現在はJRAエクセル伊勢佐木(場外勝馬投票券発売所)として使われている。デュオグループの「ゆず」がデビュー前にストリートで歌っていたのは、隣にあった本館前だった


 
 ■伊勢佐木町全盛期の建物
 昭和6(1931)年、前身の越前谷百貨店として建てられた建物で、横浜市民には松屋横浜支店(33年間)、横浜松坂屋(14年間)としてのイメージが強い。隣に、同じころに建てられた横浜松坂屋本館があったが、取り壊されてしまったのは残念だ。
 店舗としては、変遷が激しく、越前屋−山越−鶴屋−壽百貨店と経営が変わっている。戦後の7年間は接収され、米第8軍の病院として利用された。接収解除後、横浜松屋として営業を続ける中、昭和30年代(1955年)になると、横浜駅西口の高島屋が営業を開始、伊勢佐木町の集客力に陰りが見え始め、昭和53(1978)年横浜松坂屋に経営を譲り、松坂屋西館として営業を続ける。

 そして、東口の高島町にあった三菱造船所が移転したことを契機に再開発計画が進み、大型百貨店「そごう」が営業を始めたことから客足が横浜駅周辺に奪われ、最後は横浜松坂屋として、平成12(2000)年に西館の売場を閉鎖してJRAエクセル伊勢佐木(場外勝馬投票券発売所)に賃貸、百貨店としての営業を終了している。
 この建物は、設計は毛利泰三で鉄骨鉄筋コンクリート、地上7階、以下1階。昭和31(1956)年、33年と改装を受け、広さも少し変化している。
             
 
1階入ったエレベーターホール。どっしり構える柱が昭和初めの百貨店建築の特徴を見せ、重厚感を出している。
 
柱の上部とアーチ型梁端部分、装飾はシンプルである。
 ■昭和初めの百貨店建築
 伊勢佐木町に面した南側は、1階部分は変化しているが、2階以上はほぼ創建時の意匠をそのまま伝えている。2階部分の装飾が、ファサード全体のイメージ付けをしている。全体の印象から言えば、1階、2階部分は重厚なデザインで、3階以上は同じ表現の繰り返し、というクラシックなデパート建築をそのまま具体化している。
 ファサードは6階が見え、2階部分には6本の柱が立ち柱頭に装飾が施されている。柱間のスパン間は3分割されていて、四角い縦長の窓も含めて、重壮な雰囲気を出している。
 3階、通し柱のオーダーが見られ、柱頭アカンサスの装飾が付けられている。
 内装も何度かの改装を経て当初の意匠はないが、1階の4本のどっしりした大理石の柱、アーチ状の梁などは落ち着いたどっしりしたイメージで仕上げられており、昭和初めに建てられた百貨店建築の貴重な遺産と言えよう。

 
       
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