殖産興業・富国強兵――<br> 日本の近代化を支えた横浜の洋館・建造物                                              
                     
                   
日本の近代化を支えた――
横浜の洋館・建造物・産業遺構
   
   
   
         
     
 
  018 本町旭ビル(綜通横浜ビル)

   
 
昭和5(1930)年に建てられたビルの外壁が、平成7(1995)年に建てられたビルの外側に取り付けられた。


 ■ファサードを外殻で残す
 本町通りに面して、横浜開港記念館の斜め向かいにあるのがこのビル。
 もとは、昭和5(1930)年に兼松の前身の一つで近江出身の繊維商社「江商」の横浜支店として建てられたテラコッタを装飾に使った独特のデザインのビルが、平成7(1995)年に建て替えられて鉄骨鉄筋コンクリートの地上10階、地下2階建てのオフィスビルに生まれ変わった。
 面白いのは、もともとの外壁がそのままきれいに保存されて、新しいビルの外側に殻のように取り付けられていること。外から見たのではわからないが、中に入ってみると、外装と思われた表の部分は、新しいビルの外壁との間に、1.5メートルほどの間隔をあけて、セットされているのがわかる。

 
 
外壁が中の建造物と一体化して密着しているものではないことがよく分かる。非常に興味深い活用法だ。


 歴史的な建造物の保存・活用されている例はたくさんあるが、取り壊した後に建てられた建造物に密着させるわけではなく、離して外壁だけを分離して取り付けるケースはあまり聞いたことがなかったが、新築部分と保存部分を喧嘩させないためには、これも一つの方法ということだろう。

 これを復元と呼んでいいのか、修復と呼んでいいのか、あるいは改装と呼ぶべきなのか、保存は間違いないが、何ともいいようがない。ただ、新しいビルにすっかり代わってしまうことを考えると、たとえ皮一枚でもこうして残されるということはいい。
 ファサードを活かして建物を作り替える、と考えればそれなりに意味のある事業だということができるが、ビルと並行して独立していることを考えると、見本として残していると考えるべきなのだろうか。

 
 
玄関回りなどに、テラコッタが装飾に使われている。


 ■生きているテラコッタの装飾
 平成5年(1993年)横浜市の歴史的建造物に認定されているが、認定に当たっては、昭和5年の建物を平成7年に復元・・・と記されている。基準からこうした工事は許容されているのだろう。ファサードが残れば良いということなのかもしれない。微妙だが。
 しかし、当然のことながら、ただ新しいビルを建設するのと比べても、しれだけ余分な費用がかかることになり、それを負担して復元して残してくれていることには、会社するしかない。経済性が優先される中で、その努力は頭が下がる。

 本町旭ビルの設計者は不明で、使われているテラコッタの装飾などから、東京駅や帝国ホテルの設計者として知られるフランク・ロイド・ライトの影響を受けているといわれている。玄関の入り口や前面の縁取りにテラコッタを使った装飾を採用しているところが、ライトの影響といわれるところだろう。
 現在のビルは鉄骨鉄筋コンクリート地上10階、地下2階のオフィスビル。毎日新聞支社などが入っている。
 2019年、ロイドの建築物がユネスコの遺産に登録された。このビルもこれを機にあらためて見直されることを祈りたい。

       
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