殖産興業・富国強兵――<br> 日本の近代化を支えた横浜の洋館・建造物                                              
                     
                   
日本の近代化を支えた――
横浜の洋館・建造物・産業遺構
   
   
   
         
     
 
  017 横浜市開港記念会館

   
 
横浜開港記念館。タウンホールの前身で、会議室がたくさんあり、どれも公開されている。
ジャックと愛称が付けられている角の塔が横浜のランドマークのようになっている。


   大正6年(1917年)、 横浜開港50周年を記念して建てられた建物で、横浜のランドマーク的な建物として知られている。道路に面して建つ塔はジャックの塔と言われている。
 建てられて100年がたつが、昭和63年(1988年)に、破損していた屋根が復元されて、現在もかつてのままオリジナルの部分が多く維持されている。
 現在も市の公会堂として一般にも開放されていて、誰でも申し込めば使うことができる。保存と活用が見事に並行して行われている素晴らしい例でもある。石造り建造物のメリットが生かされている。
 
 
みなと通りから見た光景。赤いレンガに白い花崗岩で入れられたアクセントが印象的。



   ■岡倉天心が生まれた「町会所(まちがいしょ)」
 出来た経緯はこんなことだ。
 開港後、横浜に商人たちが集まって一大問屋街が形成されるようになると、お互いの情報交流だけでなく利害関係の調整も必要になってくる。今でいえば商工会議所だが、その集会所を町会所と呼んだ。ちなみに、発音は「まちがいしょ」である。
 
 
ここは、日本で最初の商工会議所といわれる「町会所」のあったところで、
その前をたどれば開港時には石川生糸店があった。そんな碑もあるので、見ておこう。


 こうして寄り合いのための施設が作られたが、慶応2 (1866) 年に、肉屋から出火した豚屋火事で日本人街とともに焼失、明治7(1874)年に新たに本町5丁目に町会所が新設された。当時は、番地が今とは逆につけられていて、当時の本町5丁目は今の本町1丁目、つまり、この場所である。v
   この場所、町会所ができる前は、福井藩が横浜に開いた商館「石川生糸店」で、実は岡倉天心の誕生の地でもある。
 岡倉天心の父親・岡倉勘右衛門は福井藩の下級藩士で、藩命で武士の身分を捨て、生糸問屋「石川生糸店」に出向していた。天心は、その店の炭倉で文久2年(1863年)に生まれたことから、角蔵(すみぞう)と名付けられたという。
 

 開港当時、本町五丁目にあった石川生糸店之図(横浜中央図書館蔵)


 建築費は、明治6(1873)年に炎上した皇居の造営費にと横浜商人が献金した8万円が却下されて戻ってきたために、それを転用した。石造り亜鉛葺き2階建て、一部4階建て、延べ約765平方メートルの壮大な洋風建築だった。時計塔の時計はイギリスから輸入したもので、時打装置が時を打ち、開港場のシンボルでもあったという。しかし、明治39 (1906) 年、老朽化して大修復を行う矢先、付近から起こった火事で類焼してしまった。

   ■横浜市民による、市民のための建物
 その後、明治42 (1909) 年、開港50周年を記念して市民の寄付により公会堂が建設されることになり、コンペで当選した案をもとに横浜市建築家が設計した。
 大正3年(1914年)に起工、大正6年「開港記念会館」として完成した。設計を一般に公募し、市民の寄付金で建造した、横浜市民の、市民による、市民のための建物、シティーホールなのである。
 設計は福田重義。外壁は赤レンガを露出し、白い花崗岩をアクセントに配する建築様式で、フリークラシック様式(通称「辰野式」)。辰野式の由来は、東京駅の設計でも知られる辰野金吾が明治時代後半から大正期にかけて、この手法による建築物を百数十件建てたところから、呼ばれるようになった。

 道路に面して4隅の角に塔があり、特に交差点に面して建つ時計塔の存在感は圧倒的で、「ジャック」の愛称で親しまれている。高さは3塔の中では一番低い。なので、遠くからなかなか見つけられないのが残念だ。
 
 
本町通り、ジャックの塔のすぐ右、上の方に「館会濱横念記港開」の文字が見える。


 ふつうは開港記念館と呼んでいて、市内ではどこでもそれで通じるので、あまり気にしなかったのだが、どうやら正式な名称は「開港記念横濱会館」というらしい。本町通りに面した正面の上部に、それらしい名称がかけられていた。当然、完成時のものだろうから、以後変更されていることはあるだろうが。でも建物につけられているこの文字が当時のまま変えられていないというのはいい。

           
 
講堂。ホールではなくて、講堂である。主としてスピーチなどに使ったため、舞台が狭い。当時の様子がよく分かる。施設はだれでも申し込めば使用できる。固定席1階283席+可動60席、2階135席。1階には車いす用スペースもある。

それなりのステータスで作られているので、内装もしっかりできていて重厚。一般公開されているので見学は自由。ステンドグラスなど見どころも多い。




       
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