殖産興業・富国強兵――<br> 日本の近代化を支えた横浜の洋館・建造物                                              
                     
                   
日本の近代化を支えた――
横浜の洋館・建造物・産業遺構
   
   
   
         
     
 
  011 旧生糸検査所付属倉庫事務所

   
 
生糸検査所倉庫事務所.1現在の事務所として使われている。


 生糸検査所とともに大正15年(1926年)に建てられた。生糸検査所のための倉庫棟が4棟あり、一番小さかったこの1棟は倉庫群の商品を管理するための事務所棟である。設計は、上記のように遠藤於莵。
 作られた当時は、生糸検査所(現横浜第2合同庁舎)と、帝産倉庫の間にあったが、帝産倉庫があったところがすべて取り払われ、結局、この事務所棟だけが歴史的な建造物として残され改装されて、倉庫跡に作られる新横浜市役所ビルと連結通路で結ばれることになっている(2019年秋には完成予定)。

 
 
しっかりした円柱が付いた玄関。狭いが印象的だ。リニューアルでどのようによみがえるか楽しみ。


 3階建てで、外装はレンガのように見えるが、鉄筋コンクリートの上に、柱の部分に半分の厚さのレンガをタイルのように張り付けたもので、タイルではなく、レンガ貼りである。柱ではない凹部はコンクリートがむき出しになって、赤いレンガとコンクリートのグレイのコントラストがツートンカラーのような外観のアクセントになっている。
 というよりも、外から見て、出っ張っている部分に赤いレンガが張られているために、その部分の印象は強く、見た人にレンガ造りの建物、という印象を与える。それを狙った意匠と考えれば、これはこれで面白い。

 
 
レンガを半分に切り、長辺を表に交互に張り付けた壁面。


   大正15年といえば、鉄筋コンクリート造りが実証的にも認められだして、建材として大いに利用され始めた時期である。遠藤於?も、すでに何棟かの経験を持ち、またレンガ造りの経験も何棟か積んでいる。
 そうした経験をもとに、鉄筋コンクリートづくりの堅牢性という実利面と、赤いレンガという素材の見た目のデザイン面の両方の特長を生かし、いいとこどりしたベテランらしい意匠といえるかもしれない。
 時に遠藤於?60歳。酸いも甘いもかみ分けた老練なクリエイターである。
 この事務所、倉庫は、生糸検査所用の倉庫とされているが、同時に、帝蚕倉庫株式会社の倉庫としても使われており、平成のはじめまで倉庫業務を行っていた。
 帝産倉庫に収納されていた商品は、輸出。輸入の両方を扱っていた。いずれも値の張る高級品で、この倉庫では、単に一時保管を行うだけでなく、日本の市場に出る前の流通加工、つまり、仕分け・分別・小分け・ラベル張り、梱包などの作業も行われていた。そうした業務を管理するための事務員の詰め所でもあったわけである。

 
 
取り壊されてしまったが、最後まであった帝産倉庫の1棟。鉄筋コンクリートにレンガ貼り3階建て。間口30間(54.54m)、奥行き13間尺(24.24m)。かつてはウイスキーなど高級品が置かれ、ここでラベル張りなどの加工作業も行われていた。


   長く使用がストップしていた倉庫と別に、この事務所棟は、事務所としては現役で使用されていた。
 現在は、この一帯の地域開発が進行中で、改装で使用されていないが、改装工事が終了し、隣に横浜市役所がオープンすれば、レンガ造りの倉庫事務棟としてここも再び現役オフィスとして復帰するはずだ。
 隣の超高層ビルとの組み合わせで、復元・公開される日が待ち遠しい。


 
       
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