殖産興業・富国強兵――<br> 日本の近代化を支えた横浜の洋館・建造物                                              
                     
                   
日本の近代化を支えた――
横浜の洋館・建造物・産業遺構
   
   
   
         
     
 
  004 無料公開の歴史展示ギャラリー(桜木町駅)

 
 
桜木町駅南口を出た正面コンコースに立つ柱の側面にパネルが展示されている。


   初代の横浜駅である桜木町駅に「歴史展示ギャラリー」というのがあるのをご存じだろうか。駅南の改札口を出た正面コンコースに、柱が何本かあるが、その壁面を利用して横浜駅や鉄道の歴史を紹介するパネルが掲示されている。
 これはJRのページにも紹介されておらず、あるいは駅が自主的に展示しているものと思われるが、ぜひ駅を利用した際には一見してほしい。どれも興味深いが、スペースの点で、説明がないと分からないと思われるものもあるのは残念だ。

 その一つが、横浜駅の変遷を紹介した「桜木町にやってきた鉄道車両」の「駅と路線の移り変わり」。
 いま横浜駅と呼んでいる駅が、桜木町の位置にあったことはご存知と思うが、横浜駅は、実は2度移転していて、今の横浜駅の位置は3代目なのだ。
 
 
横浜駅をめぐる鉄道路線の進展と変遷。説明があるともっと興味深く見てもらえるのだが、それがないのが残念。


 新橋−横浜間に次いで、東海道線が敷設されたとき、東海道線の横浜の次の駅は保土ヶ谷、方向は南西である。横浜まで来た線路は東南を向いている。横浜の市内は、周囲を小高い丘に囲まれた海べりにある狭い土地であり、横浜駅(桜木町)から保土ヶ谷につなげるためには、逆=北西の方向に方向を転換しなければならない。
 困った政府は、窮余の策として、東京から来た陸蒸気を桜木町でスイッチバックして保土ヶ谷への路線を確保した。しかし、いちいち横浜駅でスイッチバックさせるのは時間のロスということもあり、高島町に横浜駅(第2代目)をつくり、ここから保土ヶ谷に向かう線路を敷いた。そして初代横浜駅を「桜木町駅」とした。これで2つの路線、(1)従来の東京・・・横浜-桜木町、(2)東京・・・横浜−保土ヶ谷(東海道線)ができた。
 
 
パネルの内容。鉄道、横浜駅の歴史がまとめられて表示されている。予算がないのか、駅員有志の作品だろう。柱に説明もなく掛けられているだけというのは寂しい。


 その後、日清戦争-日露戦争と激動の時代になってくると、横須賀軍港とのアクセスを改善する必要に迫られ、横浜(桜木町)に寄らずにショートカットして保土ヶ谷へ直行する路線が新たに敷設され、「平沼駅」が作られた。これが現在の、東海道線である。大阪に向かう急行はこちらを通っていた。
 関東段震災が起こると、2代目横浜駅が延焼してしまったために、2代目横浜駅を現在の横浜(3代目)に移し、東海道線と根岸線を完全分離したのである。
 これがこのパネルの図である。パネルを見ただけではなかなかわからないが、よく見るととても興味深いパネルなのである。
 ほかにもさまざまなパネルが掲示されている。桜木町は、待ち合わせや乗降で利用する機会も多いはず、一見をおすすめしたい。


       
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