殖産興業・富国強兵――<br> 日本の近代化を支えた横浜の洋館・建造物                                              
                     
                   
日本の近代化を支えた――
横浜の洋館・建造物・産業遺構
   
   
   
         
     
 
  001 初代横浜駅(桜木町駅)

 
 
桜木町駅前に掲示されている陸蒸気開通時の横浜駅写真。
後に、上水道ができたことを記念して噴水が前に作られている。


 鉄道が開通したときの横浜駅、つまり現在の桜木町駅に特にご紹介するような洋館があるわけではないが、横浜の町を紹介するには、生糸貿易を支えた幹線、鉄道の表玄関の話から始めねばなるまい。横浜の町を知っていただくには、それが一番ふさわしいのではないかと思う。
 という以前に、そもそも近代日本を語るときに、鉄道の敷設、という側面を語らないわけではいかない。

 鉄道が開通したときの横浜駅、つまり現在の桜木町駅に特にご紹介するような洋館があるわけではないが、横浜の町を紹介するには、生糸貿易を支えた幹線、いや、日本の近代化の起爆剤ともなった鉄道の開設、その表玄関となった横浜駅の話から始めるのが一番ふさわしいと思う。
 という以前に、そもそも近代日本を語るときに、鉄道の敷設、という側面を語らないわけではいかない。
なぜというのに、世界でも日本は数少ない鉄道が発達した国で、国土の隅々まで路線が敷かれ、移動手段としてこれほど利用されている国は少ないのだ。文化・政治・経済の面で、今の日本がある背景に、鉄道が果たした役割を無視するわけにはいかないのだ。「鉄道国家−−ニッポン」と呼んでもいい。  私鉄を含めて、これほど国土を縦横に線路が敷かれて利用されている国はそれほど多くない。単位国土面積当たりの線路敷設距離の長さを比べると日本はドイツに次いで、世界第2位。フランス、イタリアが続いているが、アメリカなどと比較しても、2,3倍の違いがある。

 横浜駅が、現在の桜木町駅に位置にあったということは小学校で教えられる。知らぬ人はいないだろう。開通したのは明治5(1872)年9月12日だが、鉄道記念日は10月14日。
 
 
桜木町駅裏に設置されている「鉄道創業の地 記念碑」。もともと近くにあったが、昭和62年の改装で移転した。
2020年6月の予定で近くに市役所が移転してくるため、桜木町駅に南口改札が作られている。この記念碑も再度移転する可能性が大きい。


 天保暦と呼ばれる旧暦から太陽暦(グレゴリオ暦)の新暦に切り替わったのが、旧暦の明治5年12月3日(この日を明治6年1月1日とした)。もう少しで新暦に間に合わなかったのだが、旧暦の9月12日を新暦に合わせて10月14日を記念日としたわけである。

 ■生糸がもたらした横浜への鉄道敷設
   いま、最初の鉄道が、新橋−横浜間に開通したと聞けば、何の違和感もないが、当時の横浜は寒村である。ではなぜ、横浜−新橋間に開通したかといえば、国を挙げての殖産興業・富国強兵政策を進める中で、唯一といってもいい資金源が、横浜の港から輸出した生糸であり、生糸や生糸商人、関係者が効率的に仕事を進めるための鉄道だったからである。

 私鉄ではあったが、鳴り物入りで作った富岡製糸場のある上州に向けての上野−熊谷間の鉄道が営業を開始したのが1883年(明治16年)、新橋−横浜が開通して11年後のことである。いかに政府が生糸を売ること、資金を獲得することを急いでいたかが分かる。
 アジア諸国が列強の植民地化の波に洗われ、次のターゲットは日本、と欧米の軍船が日本列島周辺に出没して、きな臭くなっている状況でのことだった。
 政府としては、産業の近代化と軍備を進めるための資金源としての生糸をいかに供給するかが、重要な課題になっていたわけである。
           
 
最初に横浜駅ができた位置は、厳密にいえば少し移動している。すぐ近くだが、元の位置には原標識が置かれている。
 
ピオシティ地下街への入り口の横に、「開業当時の横浜駅長室跡」と書かれた小さなプレートが掲げられている。小さくて見つけにくく、文字は読みにくい。


 ちなみに、初代横浜駅だが、鉄道が旅客だけでなく貨物輸送が急激に増てくると、従来の路線だけでは両方の輸送を賄いきれなくなってくる。
そのため、1915(大正4)年になると、桜木町を旅客だけが利用する駅とする一方、新たに貨物用の路線を敷設し、貨物を扱う駅として、操車場機能(転車台・扇形庫など)を持っていた初代横浜駅部分を、桜木町から分離して「東横浜駅」としている。

 赤レンガ倉庫などのある新港埠頭・横浜港駅の貨物取り扱いの拠点となったのが東横浜駅で、蒸気機関車などの転車がこの駅の操車場で行われた。
基本的に貨物駅だったが、東京−横浜港駅間を走ったボート・トレインのケースのみ、唯一、旅客を扱う駅として機能した。
 東横浜駅は、いまはないが、場所は高架になった桜木町のみなとみらい側の駅前ロータリーのあたり一帯が使われていた。1981年にみなとみらい21の開発が行われるに際して駅が廃止され、船路のみが京浜東北線と接続されて残されている。

 
東横浜駅・横浜港駅へと敷かれた貨物路線の線路(右の高架はJR線路、左は高速道路)。単線である。
この左に三菱重工横浜製作所の工場があった。ガードを抜けた先に東横浜(桜木町)駅があり、汽車道につながっていた。
貨物線路については「001初代横浜駅」を参照されたい。


       
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