ものづくり日本の心


日本のものづくりは世界の財産である


第8章
どこへゆく日本のものづくり





■ものづくりのゆくえ

ここまで、私たちがものづくりや仕事とどのように付き合ってきたのかを、ざっと振り返ってきました。

ご紹介してきたように、日本人は「ものをつくる」ということに対して、強いこだわりを持っている、世界でも数少ない国民です。

江戸の末に国を開き、西洋文明を導入して百数十年。わたしたちは西欧の近代科学を学び、ものづくりに励んできました。そしていまもなお、ものづくりに思いを託して、経済を発展させようとしています。「ものをつくるというプロセス」に、これほどのこだわりを持っている国民は、世界を見渡してもほかにあまりありません。

第2章「通奏低音を聴きとったペリー」で、日本のものづくりの底には、特有の通奏低音が静かに流れていて、この通奏低音こそが、日本の伝統と文化から生まれたものづくりの特徴だと述べました。

日本が持つ緻密で高品質な製品づくりの仕組みは、日本の伝統文化に西洋の科学技術や合理性が融合して生まれた、世界でもきわめてユニークな文化であり、日本でしか実現できない日本の財産です。そしてそれは同時に、世界の、人類の財産でもあります。

もし、これが人類の財産であるとするならば、この財産をさらに高度なレベルへとブラッシュアップしてゆく仕事は、私たちに課せられた責務と言えるでしょう。

高度成長、バブル崩壊、失われた20年を経て、いま日本は、アメリカ、中国に次いで、GDPで世界第3位の位置にあります。人によって、この位置にあることをどう考えるかさまざまな意見がありますが、私は、国土面積が25倍以上もあり、人口も圧倒的に多い2つの国と張り合って、小さな日本もなかなか頑張っているではないかと、この国を頼もしく思います。

日本、アメリカ、中国の国土面積比較


しかし、2位から3位へと順位を落としたことで、日本は優位性を失い、ものづくりでは世界で戦えないと主張する意見もあります。

日本の将来を考えたとき、ものづくりはいったいどのような役割を果たすのでしょうか。この点に関して、大きく2つの意見があるようです。

●高度なものづくりこそ日本の産業を支える生命線であり、これからもものづくりにこだわって高度化を進めていくべきだとする意見と、
●いつまでもハードウエアの加工技術にしがみつかず、ソフト・コンテンツなどの情報通信産業や金融・流通・サービス産業の方向に進むべきだとする意見

です。


■ハードとソフトの融合
この議論の立て方には少し違和感をもちます。それは、問題が、

●ものづくりか/ソフトウエアか
●ものづくりか/情報・サービス産業か
という二者択一で議論されてしまっているからです。

いまや、ものづくりに限らず、あらゆる領域で、ハード技術とソフト技術は切り離せない関係になっており、両者を融合させたところからしか、新しいイノベーションは生まれません。

日本はこれからものづくりとどう付き合うべきか、という問いに答えるとすれば、ものづくり技術の高度化は、日本の産業の基盤として捨てるわけにはいきません。
私たちの何年か先を走っているといわれているアメリカは、しばらく前にものづくりを放棄して、金融工学に走り、またソフトウエア、知的財産の高度化と活用を目指して世界をリードしようとしています。
日本が同じ路線を目指し、アメリカと競争して勝っていけるかといえば、はなはだ心もとないところがあります。アメリカと違って、日本には、日本にあった独自性、創造力を発揮する方向があるのではないかと思います。

前章でお話したように、研究開発力と緻密な生産技術力の両方を高いレベルでもつ日本のような国は世界にはほかにありません。どんな時代になっても、高度なものづくりの技術力は、競争力の源泉でもあります。これを捨てる必要があるとは思えません。

もちろん、ソフト・サービス分野の活性化が不要というわけではありません。たとえどの領域に力を注ぐとしても、最先端のものづくり技術の向上は不可欠なのです。最近は、
●Iot(Internet of things)、
●ドイツ発のindustrie4.0
が話題になっています。
緻密な加工とアッセンブリー技術、さらにソフトウエア+通信技術の組み合わせは、まさに日本がもっとも得意とするところではないかと思います。

研究開発の重要性は非常に分かりやすく、かっこいい話でもありますので皆さんおっしゃいますが、それに比べて派手さのないものづくり=生産技術の重要性はあまり理解されていません。

■前提は高度な加工技術
製造業にとって、何を、どうつくるかは、経営の根幹にかかわる重要なポイントですが、何をつくるか(研究開発・商品)にばかり目がいって、どうつくるか(生産技術・製造)にはあまり関心が払われない傾向があります。
しかし、実は製造業が成功するかどうかのカギは、どうつくるかの技術が握っていると言っても過言ではありません。

問題は、ものづくり力を向上させるだけではなく、それを活かしたマネジメントが確立されていることが大切なのですが、この点が私たちに欠けているのではないかと思います。

商品化する過程では、技術の有無が成果を大きく左右します。
たとえば、長い間、人類の夢であった「さびない鉄」ステンレス鋼は1912年に製品化されましたが、溶接技術が開発されるまで、限られた用途でしか使われませんでした。広く普及するには、溶接技術が確立されるのを待たなければならなかったのです。

自動車は、1800年代末にガソリンを使ったエンジンが開発され、自動車会社がたくさん設立されました。多くの工場が従来のやり方で一台一台組み立てている中で、自動車を一気に普及させ自動車業界でイノベーションを起こしたのは、1908年にフォードが部品や作業法を「標準化」することで「分業システム」を取り入れ、製造ラインにコンベアを採用してT型フォードの大量生産を可能にしたからです。

後にフォードシステムと呼ばれることになった、コンベアを利用した流れ生産による大量生産システムは、自動車という新しい商品の開発によって可能になったのではなく、
・すり合わせなしでも交換可能な標準部品の生産を可能にし、
・作業を標準化して工程ごとに所要時間を均一にし、
・それを、コンベアを使って流しながら生産する
という生産技術的な工夫からもたらされたものです。

新しい素材や技術が開発されたあと、それが実用化・商品化されるためには、どうしてもそれを、高品質で効率的に生産・利用するための技術を開発するという大きな壁を乗り越えなければならないのです。

ステンレス・鋼板の接着



■ガラパゴス化する? 日本のものづくり
日本は世界でもトップクラスの科学技術力と生産技術力を持っています。
グローバルに比較しても、日本の製造業の競争上の優位性は高いはずですが、どういうわけか、市場では負けるという結果になってしまっています。そのため、日本のものづくりは、ガラパゴス化していて、グローバルの競争に勝てないという意見が聞かれます。

ガラパゴスといわれる理由として
@日本の家電製品などが中国や韓国などの企業にシェアを奪われて苦しんでいること、
A日本企業からイノベーションを興すような新製品が生まれていないこと、
の2つが言われています。

 家電製品などの不振から、日本のものづくりはグローバルな競争に勝てない、日本のものづくりは時代おくれでガラパゴス化している、などと言われるのですが、これはちょっと違います。「ものづくりが負けている」わけではないのです。

「ものづくり」が負けていると言われると、ものづくり力、つまり研究開発力や生産技術力、製造技術力が劣っているようにいわれますが、果たして本当にそうでしょうか。

ガラパゴス化しているのは、日本のものづくり技術力ではなく、高度なものづくり力を持ちながら、それを生かしたマネジメントが行われていないことが問題なのです。

つまり、「日本のものづくり」が負けているのではなく、製造業のマネジメントが負けているのであって、問題は高度なものづくりの力を活かせない「マネジメント」にあるのです。

いつまでも日本の企業が、技術的に成熟しきった家電を作っているのが正しいか、ということも、あるでしょう。縫製業を考えてもこのことは分かります。

高度な技術よりも、単純労働力が求められる縫製業は、低開発国が産業化をめざす最初の関門ですが、それを日本でいつまでも続けることが有効でしょうか。
同じように考えれば、家電のある部分は、当然、縫製業に続く産業領域として、開発途上国が力を入れてくる領域で、必然的に、そうした領域は、先進国から消えていく運命にあります。


■急速に進む技術のモジュラー化
かつて日本が、先頭を切って家電製品を世界の市場に送り出していた時代、家電製品は先端技術を生かしたイノベーティブな商品でした。

過去の蓄積された技術がベースとなって専用の部品を作り、新製品が作られていました。新製品を生み出すためには、摺り合わせながら組み合わせて高品質を実現する新しい技術が必要で、そうした技術を統合化して作りだされるインテグラル型のアーキテクチャーを持っていたのです。

しかし、技術が高度化し、ITが発達した現在、設備・部品に半導体を使った電子部品が組み込まれ、それが自動で作られるようになって、PCをはじめとして家電製品は、基本的な技術さえあれば、部品を購入して組み合わせ、インターフェースを工夫することで誰でもが作れるようなモジュラー型の商品になってしまいました。

日本が得意としてきた、技術の摺り合わせで作り上げるものではなく、あたかもレゴブロックのように、組み合わせて作られるような商品になっているのです。

現在は自動車がインテグラル型製品の代表ですが、電気自動車が普及するようになると、次第にモジュラー型の組み合わせ型商品になっていくと予想されています。現状では自動車業界への新規参入は簡単ではありませんが、電気自動車が普及することで、モジュラー型に変化し、新規参入はよりやりやすくなるでしょう。

現在は、安全性への需要から一ケタ高い精度が求められている航空機産業でも、やがて、そうしたプロセスをたどることが予想されます。そしてさらに1ケタ高い精度が求められている医療用の製品にも波及していくことになるでしょう。

その流れを止めるにはどうしたらよいでしょうか。そのためには、新しいイノベーションが必要で、その一例がメカとソフトの世界に、新たに通信機能を加えたIoT技術の活用です。ドイツが目指すindustrie4.0がまさにこの領域です。

モジュラー型の商品になった状況で求められるのは、それまでになかったまったく新しい機能を備えた商品の開発と、低コストで作り上げる力です。
新しい商品の開発に関しては次項で述べるとして、低コストで作り上げる力に関して言えば、日本が苦戦している中国や韓国の企業のものづくり力の源泉に日本の技術があることを確認する必要があります。

かつて日本が強さを誇っていた半導体産業や家電産業などの分野で、日本はアメリカや韓国や中国の企業の後塵を拝しています。熾烈な競争を展開しているライバル企業の多くは、日本製の高度な部品やシステムを使い、それが、製品の品質や特性・機能を支えるカギになっていたりします。

日本の最先端のものづくり技術がうまくマネジメントを得れば、グローバルな競争力をもつことは難しくないでしょう。世界でオンリーワンの高度な技術力をもちながら、日本が市場を奪われている原因は、その技術力や高品質づくりのノウハウを活かしたビジネスモデルを確立できなかった、マネジメント、つまり経営の問題があることがわかります。


■高度なものづくりを活かすマネジメント
ガラパゴス化していると言われる背景の2つ目は、新製品開発、イノベーションです。

【ガラパゴス化する日本のものづくり】A日本の産業界からイノベーションが生まれずに海外に先を越されている
かつて、日本の産業界は、世界の市場を沸かせたイノベーションを矢継ぎ早に興してきた国でした。

歴史的に見れば、カメラ、時計、トランジストラジオ、ビデオ、ウォークマン、カセットテープ、家電製品、ファミコン・ゲーム、デジタルカメラ、最近ではハイブリッド車……など、さまざまな製品で世界のイノベーションをリードしてきました。

それが、ここしばらく、アップルをはじめとし他企業に後塵を拝しています。
なぜ、こんな状態になってしまったのでしょうか。

日本の製造業の経営者に、当面の課題は何ですかと聞くと、決まって、「技術開発」が高い優先順位であげられます。そして、イノベーションには最先端の研究開発成果が必要で、それがないために自社からイノベーションにつながるような新製品が生まれないという意見が言われます。

しかし、この発想は、バブル時代くらいまでの、日本の製造業が研究開発力に弱く、欧米企業から特許を借りて商品化していた重厚長大型の産業構造の時代のもので、マネジメントの巧拙を問題にしないような圧倒的なイノベーションを求める、経営者の願望を表すものでしょう。

アップルに代表されるようなイノベーションにつながる発想ではありません。技術開発でイノベーションを起こそうという考えが消費財の商品開発では大きな誤解なのです

 第7章のノーベル賞の受賞者数でみたように、科学技術力・研究開発力では日本と中国や韓国の差は歴然です。そうした企業に商品開発力、市場占拠率で後塵を拝している状態を見れば、研究開発成果がないから市場でイノベーションをおこせない、という理由が成り立たないことは明らかです。

例えば、こんな話があります。

いま、タブレットPCは教育の場などにも導入されるようになって、大きな市場を獲得しています。この分野を切り開いたのはアップル社ですが、実は、タブレットPCが商品として販売される数年前、ある日本の企業の技術部門で、キーボードをなくした液晶のPCが試作されていたそうです。まさにタブレットPCです。

「これは面白い」ということで技術部門から、商品開発の提案がなされたそうですが、トップを交えた商品開発会議では、理由は不明ですが、新製品としてゴーは出されなかったそうです。数年後、アップルからiPadが発売され、ヒット商品として市場で飛ぶように売れていくのを横目で見ながら、技術者たちはやるせない気持ちになったといいます。

提案を受けたマネジメント層は、こうしたものへの需要があるという予測ができなかったのでしょうか。リスクを恐れたのでしょうか。もしそうだとすれば、経営者としては資格ですが、彼らを評価する機能が、内部にあるのでしょうか?

イノベーションを興すような新製品が日本の企業から提案されない、ものづくりがガラパゴス化している・・・と言われる実体の一つはこういうことでもあるのです。

全てがこの調子で、新製品が生まれなくなっているというわけではないと思います。しかし、この話しを聞く限り、問題はものづくりではなく、高度なものづくりの技術を活かせないマネジメント力にもあるのではないかと思います。


■イノベーションを生む条件
イノベーションは、どうやって起こされるのでしょうか。
企業が、市場でイノベーションを興すような新製品を開発するためには、どのようなプロセスが必要なのでしょうか?

たとえば、ウォークマンなど、過去にイノベーションを起こした商品をみてみましょう。
これらはいずれも、かならずしも、新しい技術開発がきっかけで商品化されたというものではありません。

既存の技術を組み合わせ、その中の、ある機能に特化して商品化し、ユーザーとのインターフェースに独自のデザインを施すことで、消費者に未体験の新鮮な価値や喜びを提供する、つまり、開発者の発想やニーズが起点となって、既存の知識、技術を組み合わせて作られた商品なのです。

新しい研究開発の成果がもとになって生まれたシーズ型の商品ではないのです。
もちろん、素材産業などでは、炭素繊維のように研究開発力がベースになって生まれるものもありますが、消費財マーケットで見れば、むしろ既存の技術を巧みに応用した商品が多いのです。

経済学の巨人シュンペーターは、1926年に著した「経済発展の理論」(東畑精一ほか訳、岩波書店、1980)で、経済の発展は「新結合」によっておこされ、「決して科学的に新しい発見に基づく必要はない」と書いています。そして、新結合が起こされる5つのケースを上げています(図)。

当時はイノベーションということばはなく、イノベーションに近い大きな変革を不連続の発展とよんでいた。そして、シュンペーターは、「不連続の発展は、新しい科学的な発見によってではなく、既存のものを“新しく”組み合わせることによって起こされる」と言っているのです。

しかも、そのイノベーションはどうやって起こるかについて、

「経済における革新は、新しい欲望がまず消費者の間に自発的に現れ、その圧力によって生産機能の方向が変えられるというふうに行われるのではなく、――それを否定するものではないが――むしろ新しい欲望が生産の側から消費者に教え込まれ、したがってイニシャティブは生産の側にあるというふうに行われるのが常である。」

と書いています。
 新製品企画では、新しいマーケットが生まれるかどうかを判断すべきところで、現状のマーケットだけを見て<売れる/売れない>の判断をするトップが多い。それが、愚の骨頂であることをシュンペーターはすでに100年以上も前に喝破しているのですね。

 シュンペーター「新結合の遂行の5つのケース」
 1.新しい財貨、=消費者の間でまだ知られていない財貨 
   あるいは新しい品質の財貨の生産 
 2.新しい生産方法、すなわち当該産業部門においても実際上未知 
   な生産方法の導入。(科学的に新しい発見に基づく必要はない) 
 3.新しい販路の開拓。 
 4.原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得。 
 5.新しい組織の実現、すなわち独占的地位の形成 
   あるいは独占の打破。 

「経済発展の理論」シュンペーター著 東畑精一ほか訳、岩波書店より


よく見ると、ジョブズの商品開発がまさにこのやり方なのです。
必要なのは、ゼロからの技術開発ではなく、既存商品・技術に新しい価値を見つけ、その価値を形にして提供することであり、イノベーションは科学的な新しい発見から始まるという思い込みが、日本からイノベーションを生まれにくくしているのではないかと思います。

スティーブ・ジョブズは、新製品開発の世界で、イノベーションを起こし続けた一人ですが、彼がどのように商品を開発してきた、少し振り返ってみましょう。


■優れた芸術家は真似し、偉大な芸術家は盗む
ジョブズは、アップル社を立ち上げて成功した後、1985年にアップル社を追われます。
そして、傾いた同社を再興するため九六年に復帰し、POWER PC、iMACを生み、2001年にはApple Storeを開店し、さらに、03年に音楽の分野に進出して、携帯音楽プレーヤーiPod、iTunes、を開発。07年にはスマートフォンのiPhoneを市場に投入、10年にはiPadを送り出し・・・と、デジタル時代における新しいコンテンツの楽しみ方を、矢継ぎ早に提案し、どれも大ヒットとなりました。

こうした流れをみると、ジョブズがオリジナリティあふれる新しい商品を提案してきたように思えますが、ジョブズ自身は決してそう思っていなかったようです。

早稲田大学商学学術院教授の井上達彦によると、「米オハイオ州立大学教授のオーデッド・シェンカーは、著書『Copycats』において、アップルを「アセンブリー・イミテーションの達人」と評していると紹介しています。既存の技術を新しいコンビネーションで結びつけ、アッセンブリーで商品化するのが上手な企業だという意味です。

「よそで開発された技術を結びつけて、優美なソフトウエアとスタイリッシュなデザインで包み込む。他社の技術やアイデアを持ち込むことを恐れず、ちょっとひねりを加えて自社の魅力的な製品を作り出す。そういった強さを持っているのがアップルです。」(『アップルの本質は模倣の達人』「日経ビジネス」(取材構成・秋山基、2012年3月21日))。

実際に、ジョブズは、模倣することについて肯定的で、

「素晴らしいアイデアを盗むことに我々は恥を感じてこなかった」
「優れた芸術家は真似し、偉大な芸術家は盗む」

などのことばを残しています。

ただ、単に模倣するだけでなく、彼の商品には、新しい価値を発見し、独自のデザインを加えているなど、ジョブズならではのこだわりが込められているのです。

マイクロソフトも、いくつかアップルのシステムを模倣していますが、ジョブズは「マイクロソフト社がマックをコピーすることに長けていたわけではない。マックが10年もの間コピーしやすい製品だっただけだ。それはアップル社の問題だ」と語っています。

『Copycats』の著者であるシェンカーも、「イノベーションとは必ずしも何か新しいものや技術を発明すること自体を指すわけでなく、既にある技術やアイデアを組み合わせて、全く新しい技術や製品・サービスに昇華する力を指すのだと考えています。イノベーションとは、組み合わせる力であり、「連結力」であるということです」と書いています(同)。

とはいえ、そうして生み出したものが、単に形状や技術の模倣に終わらず、消費者の生活様式を変えてしまうほど、まったく新しい価値を提供する商品に仕上がっているところが、ジョブズのイノベーションの深さといえるでしょう。模倣から出発して、最後には、それまでになかったまったく新しい価値を生み出しているのです。

『アップルの本質は模倣の達人』「日経ビジネス」(2012年3月21日))。



■チャンスは「ニア・ハイ」にあり
この原稿を書いているときに、偶然こんな話を読みました。ちょっと面白かったのでお付き合いください。

サッカーの国際マッチでは日本チームの決定力のなさがよく指摘されます。ヨーロッパの強豪チームなら確実に一点というところで、日本チームはしばしばゴールを外し、惜しい試合展開になるというのが、デジャヴのようなお決まりのパターンです。

それに比べて、メッシやロナウドなど、世界的なストライカーのゴール決定力は圧倒的だと評論家の中村僚はいいます(「『落ち着け』では解消しない! 日本人選手に決定力がない本当の理由」「フットボールチャンネル」2013年6月8日)。

日本のストライカーと彼らとの違いはどこにあるのか。一般にサッカーのゴールには、三種類があるそうです。

A:GKがとどかないゴールマウスぎりぎりのミドルシュートや、鋭利なカーブを描いた直接フリーキックなど。
B:GKが反応できない、視覚外から放たれたシュートやフェイントでGKを抜き去ってから放つシュートなど。
C:別段、球速があるわけでもなく、タイミングをずらした形跡もない。それでもあっさりとゴールに収まるシュート。具体的には、GKの顔の横や肩口、股間、倒れ込んだ際の脇の下など、一部で「ニア・ハイ」と呼ばれるシュート。

日本のJ1、J2でのゴールと、メッシ、ロナウドのゴールを比較したところ、

Aのゴールは、メッシが68%、ロナウド70%、Jリーグが70%と変わらない、
Bでは、メッシ、ロナウドは共に12%、Jリーグが22%と差があり、
Cはメッシ20%、ロナウド19%に対して、Jリーグは8%止まり

 つまり、日本の選手はGKから遠いコーナーや死角を狙って外してしまうケースが多いが、メッシらはGK近くの「ニア・ハイ」を狙い成功させる確率が高いという。

そして、このことを少年サッカーチームに教えて、ニア・ハイを狙わせたら、得点力がグーンと上がった、といいます。

サッカーのゲームに関して、紹介されたような内容が本当に正しいのか、専門家ではない私には、正否はわかりません。しかし、この話、なにやら、独自の研究開発から取り組んでヒット商品をなかなか出せない日本の企業と、既存の技術にあるものを活用して(ニア・ハイ)、ヒットを連発するジョブズとの違いを、ほうふつとさせるような話ではありませんか。

 ゴールの種類  メッシ  ロナウド  Jリーグ 
 GKがとどかないゴールマウスぎり 
 ぎりのミドルシュートや、鋭利な 
 カーブを描いた直接フリーキック 
 68%  70%  70% 
 GKが反応できない、視覚外から放 
 たれたシュートやフェイントでGK 
 を抜き去ってから放つシュート 
 12%  12%  22% 
 GKの顔の横や肩口、股間、倒れ込 
 んだ際の脇の下など、一部で「ニア 
 ・ハイ」と呼ばれるシュート 
 20%  19%  8% 



■独自の価値を生む、換骨奪胎と合わせ技
異なったものを合わせ、つなぎ、結びつけるという行為は、私たちが伝統的に親しんできたものです。

わたしたちは、古くから、貝合わせ、歌合わせなどの遊びをしてきました。また、炊き合わせ、抱き合わせなど「合わせる」行為も多く行ってきました。また、和歌・連歌の世界では、古くから古歌の語句・趣向などを取り入れて和歌を詠む、本歌取りという手法が用いられ、藤原定家などによる名品も数々生まれています。

 岩波書店の「逆引き広辞苑」(岩波書店、第一版)を見てみると、「○○あわせ」ということばは「歌合せ」をはじめ130もあり、「合わせ××」も合わせ鏡など20近く。同様に、「○○結び」も100近く、「○○つなぎ」は18が掲載されています。この語彙の豊かさと自在さは、驚異というしかありません。これは私たちの発想の多様さと自在さを示すものです。

異なったものを組み合わせ、結びつけるという行為をこれだけ多様に行ってきたのは、逆に言えば、私たちが遠い昔から、組み合わせ、結びつけることから生まれる新しい発見、驚きに価値を見つけていたということです。こうしたことを楽しめる感性、知性、創造力を備えているということにほかなりません。

生産技術力の基本は、素材、工具、加工法、技能をいったんばらして、合わせ、結びつけ、つなぎ、そのうえでインターフェースを工夫することで成り立っています。

知日家で、構造主義の旗手と言われたフランスの哲学者ロラン・バルトは、「《天ぷら》はポルトガルの、もと、四節句中の肉断ち(テンポーラ)の料理に由来する」と紹介した後で、

「だが、日本人の例の換骨奪胎の技術によって洗練されて、これはもはやそれとは別な場合の食べものとなっている。」(「表象の帝国」宗左近訳 ちくま学芸文庫)

と書いています。

換骨奪胎とは、元にあるものをいったんバラし、他の要素と結びつけ、つなぎ合わせて再構成することです。その結果、模倣の枠を大きく超えて新しい価値を持った、別のものが生みだされます。

そこに新鮮な楽しみや刺激があり、ユーザーに合わせて洗練されたインターフェースをデザインすれば、それはジョブズが行ってきた行為そのものではありませんか。

テンポーラの知識なしに、ゼロから天ぷらを考案するのは、至難の業です。そして、だれでもが、テンポーラから天ぷらを作りだせるわけではありません。模倣を越えてイノベーションへと昇華させるには、その過程で、「新しい価値」への気付きと、求めるゴールを想像するデザイン力が不可欠です。

ジョブズは、「素晴らしいアイデアを盗むことに我々は恥を感じてこなかった」、「優れた芸術家は真似し、偉大な芸術家は盗む」と語っています。

開発に際しては、ユーザーの新鮮な驚きや喜びを優先し、仕上がりの微妙な質にこだわり、何度でも修正を要求してスタッフとぶつかったそうです。こうした仕上がりへのこだわりは、若いころから傾倒した禅や、深い関心を持った日本の工芸品に大きく影響されたと言われています。

ジョブズのイノベーションを生む斬新な発想は、もしかしたら、西欧流の合理性と日本の伝統的な美意識という、異なった価値観が融合することで生み出されたものかもしれません。

■日本の時代がやってくる−−本番はこれからだ
わたしたちがこれまでに作り上げてきた高度なものづくりの技を、未来に向けてさらにブラッシュアップしていくことが重要だということについて、どなたも異論はないと思います。

改めて、私たちの過去から続く、ものづくりへのこだわりを見ていると、日本人は、もしかすると、ものづくりを高度化するために生まれてきた民族ではないかと思うほど、ものづくりのプロセスに抱く関心の強さは超弩級です。

 国内からものづくりの場が消えつつあるなかで、日本のものづくりは終わりだという人がいますが、わたしは、まだまだ大きな可能性を秘めている、いえ、むしろこれからが日本の感性を世界にアピールする本番だと思います。

これまでわたしたちは西洋の科学技術を礼賛し、どちらかと言えば伝統的な考え方や行動様式を古いもの、劣るものとして退けてきました。

しかし、西洋の文明から見ると、私たちが古いものとして退けてきた日本古来の文化や伝統は、これまで全くなかった、新しいもの、新しい文化や価値観を持った新鮮なものであるという認識が欧米から表明されるようになってきました。文化遺産に登録された和食の世界、素材を加工し、味わうそのやり方もその一例です。

1859年、アメリカとの間で結ばれた通商条約に従って5港を開港し、西欧文化に門戸を開いて以来、西欧社会から、日本の文化、あるいは慣習や伝統は「古い、異端なエキゾチズム、目を向ける価値のない低俗なもの」としてみなされてきました。

その一因として、列強に張り合って領土拡大を図った明治以来の軍国日本の歴史もあって、部分的に、日本的なものは忌み嫌われるマイナスのイメージを持たれてきたこともあったと思います。

そのカウンターイメージとして私たちも、私たちの文化や伝統を古いものとして退けてきたきらいがあります。しかし、明治以来150年の交流を経て、日本古来の伝統の上にあるものは、西洋の文明から見ると、

●これまで全くなかった新しいもの、
●自分たちにはない文化や価値観を持った新鮮なもの

であるという気づきが欧米から表明されるようになってきました。
和食の世界が文化遺産に登録されたのも、

●素材を加工し、
●味わう

日本独自のやり方が、「異端」なものとしてではなく、新しい価値観、論ずる価値のある文化として、やっと彼らに受け入れられるようになったためと思います。

一神教に対して、万物に神が宿るとする発想は、西洋思想から見ると、目からうろこのものでしょう。
地球にはさまざまな民族が住んでいます。一つの価値基準ですべてを序列化してしまうのではなく、それぞれの民族が独自の価値基準と文化を持って共存する、いわば、八百万の神の存在が、地球の共生という観点からも自然な発想であることは言うまでもありません。

それはある意味で、これまで競い合うことで自己の正しさを主張し合ってきた西洋の文明が、自分たちと価値観を共有しない他者の存在とそのもつ異質な価値観を先入観なく認め始めたということかもしれません。

西欧の文明が、明治以来、異質の存在として列強の仲間入りしようとしてきた東洋の小国に対して、その文化や価値観を理解するまでに150年という時代が必要だったということでしょうか。つまり、コミュニケーションを正しくかわすということが、いかに長い時間を必要とするものかということです。

日本の文化、価値観、伝統や慣習が世界に広がっていくのは、これからなのです。


■グローバルなイノベーションを起こすために
これまで私たちは、多くの文化や技術を欧米始め、多くの国から学んできました。そして、逆に欧米も、アジアのもつ異質さ、その価値観に目を向けようとしています。

いまやITの高度化によって、通信は空間的な距離をものともせず、コミュニケーションすることを可能にしてきました。また輸送機器の発達によって、物理的な移動も、つい、50年前までは東京から大阪への出張が移動に8時間もかかり、一泊が必要だったことさえ信じられないほど手軽になりました。

距離という障害がなくなり、また、国境という障壁が開かれるようになったいま、市場は国内より、国外に移動しています。そんな時代には企業の思考・行動範囲もよりクローバルなものが求められます。

1978年、ケ小平が中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議で打ち上げた改革・開放政策を受けて、安価な労働力を求めて、多くの企業が中国に進出し、ものづくりの場が国内から海外に移動しました。中国の開放政策に刺激されて、多くのアジアの国々でも改革が進められ、ものづくりの現場は滝つぼに水が流れ落ちるように、アジアへと移っていきました。

そうした国々では、産業の発達とともに、給与所得者が育ち、いまや、製造の場としてだけではなく、購買力を持った消費市場として重要な意味を持つようになりました。大きなマーケットをもつそうした国々と良好な新横浜ビジネスを展開するためには、お互いの理解が不可欠です。

アメリカも、ヨーロッパの国々も、もともと海外からの移住者が多く、あらゆる世界で、いわば異文化を持った人たちが、活躍しています。
アメリカの企業を訪ねれば、事務所にいる人材の半分は、ヨーロッパ出身だったり、南米、アフリカ出身だったり、あるいはアジア出身だったりします。そうした人材がお互いに競い、せめぎ合って、新しいエネルギーを生み出しているのがアメリカ社会です。

ヨーロッパも同様です。ヨーロパは元々地続きで、人材の交流は活発です。西欧の国々にも東欧から中東、アジア、アフリカの人材は溢れています。かつて植民地を持っていた経験から、アフリカ、南米、アジアの人材はかなりの高い比率で人口を構成しています。

さらに、いまはEUが域内の人材に国境を開放していますから、EU加盟国の企業の事務所は異文化人材の宝庫と言ってもいいでしょう。海外の企業では、多くのグローバルな人材がグローバルな市場をめざして戦略を検討し、活動を展開しているのです。

ひるがえって、日本を見ると、日本の企業で働いているのは、ほぼ100パーセント日本人です。企業は海外進出をめざしてグローバル戦略を立案し、グローバルを対象にした商品を開発し、マーケティング活動を展開しています。

グローバルな市場をめざして・・・と言いながら、日本の企業で戦略を検討するのは日本人ばかりです。果たして、こんな状況で本当に日本の企業は海外の企業とグローバルな市場で競争できるのでしょうか?


■外部の価値観を取り込もう
いま、日本ではさかんにグローバル人材の育成が叫ばれています。日本の国も、海外に門戸を開き、人材の交流を進めるために、留学生の誘致を進めています。

文科省が進める留学生誘致の目標は、2020年に30万人の留学生を招へいすることですが、2013年に18万人だった留学生数は、2016年には、20万人を突破しています。

日本で学ぶ留学生数は順調に増えているのですが、残念なことに、そうした留学生の多くが日本で働くことを希望しながら、半分の留学生が、就職先が見つからずに帰国したり、他国で就職してしまったりしていることです。

せっかく優秀な人材が日本の企業で仕事をすることを望みながら、受け入れる企業がないのです。理由は、日本語を十分に理解できないから、あるいは、外国人を雇用しても、彼らの能力を発揮してもらうことができないから。わかりやすく言えば、文化と価値観の違う人材は社内のトラブルのもとで、逆にこれまでのやり方が侵され、問題が生じるため、敬遠する・・・というわけです。

イノベーションとは異質な価値観がせめぎ合う所から生まれるのだと思いますが、異質な価値観のぶつかりを、マイナスとして避ける文化が日本の企業にはあるのですね。これを克服しないと、これからのグローバルなイノベーションはなかなか起こせないのではないかと思います。

価値観がせめぎあうなかから新しいイノベーションは生まれます。優秀な頭脳と異なる文化・価値観を持った留学生を、今後、いかに日本の企業に取り込めるか、ITの進歩で、ますますグローバル化が進むなかで、新しい時代にリーダーシップを発揮するために、不可欠な要素ではないかと思います。

日本は、日本の良さに気付いていない、材料はあるのに、それを生かしきれていない、とよく言われます。いい材料はあるのに、それを、生かす知恵がないということが言えるかもしれません。これまでの解決策は、外国のノウハウを借り、ディズニーランドを作るという借り物発想です。

日本人だけでなく、異文化を持った人たちの知恵を入れることで、これまでになかった新しいテーマパークの創造など、日本文化の発露法も生まれてくるのではないかと思います。そのために何が必要なのか、そうした思考法が日本人に欠けているのかもしれません。グローバルな知恵をどんどん入れて、日本の良い素材を世界に向けて発信していきたいものです。

いま、世界の企業で、優秀な人材の獲得競争が展開されています。企業は人なり、つまり、優秀な人材を獲得することが企業の発展に大切だということですが、ところが、日本の企業の経営課題を調査すると、優秀な人材は必要だといいながら、グローバル人材の必要性は、2014年に比べて、2016年では下がっています。

これはどういうことでしょうか? 当然、日本人で優秀な人材を求めているということですね。もちろん優秀な人材であればいいのですが、目の前にいる、外国人留学生が見えていないのですね

日産自動車、ルノー、三菱自動車のCEOを務めるカルロス・ゴーンは、ベイルート生まれで、ブラジルで育ち、フランスの大学を卒業しています。パリで、ミシュランに採用されたことで、飛躍のきっかけをつかみ、今では世界的な経営者として活躍しています。

いま、日本で学んでいる外国人留学生の中に、第2、第3のゴーンになる逸材がいるかもしれません。日本の会社からそうした人材が生まれてくるのはいつのことでしょうか?
もっと、グローバルな視点で人材を考える必要があるのではないかと思います。


■和のものづくりの底力と潜在力
万物に神が宿る、最近ではトイレにさえ、それはそれはきれいな女神さまがいるとする日本人の発想は、共生という切り口で見れば、宗教的というよりも魂のコスモロジーという方がふさわしいひろがりをもっています。

八百万の神や、ロラン・バルトが言う換骨奪胎、さらには融通無碍、清濁併せのむ、お客様は神様です、などという言葉は、例えばフレキシビリティやダイバシティ、カスタマー・サティスファクションといま風のことばで言い換えてみると、それはグローバルな時代にも通じる最先端の考え方になります。そしてこれらは、日本人には、長い歴史のなかで使い慣れてきた土着の思想でもあります。

たとえば、こんな商品をご存知でしょうか。
お湯をさすだけで食べられる、生みそを使ったインスタントみそ汁があります。あるメーカーの製品の10食パックは、生みそと具の小袋が10個ずつ入ったものですが、みそと具の小袋が、/みそ10個/具10個/とまとめて10個ずつ入れられているのではなく、/みそ/具/みそ/具/・・・と一個ずつ対になって交互に入れられています。 

購入した客は、調理に際してみそと具の袋を一つずつ取り出す必要はありません。隣り合った任意の2袋をつまんで取り出せば<みそ>と<具>が一つずつ取り出せるようになっているのです。

異なったものを交互に隣り合って封入するためには、生産工程でひと手間多く必要ですが、そんなサービスに価値を認めてコストをかけるのは、日本くらいでしょう。


そんなサービスにどれほどの価値があるのか、と問うのが、これまでの西洋の合理思想です。しかし、そんな彼らが、いまは、日本式のゆるい、おもてなし発想に価値を見出し始めています。
洗浄トイレの人気なども、言うまでもなく、日本のおもてなし精神から生まれた商品と言えるでしょう。

西欧の人たちも、すごいですね、文明の最先端を走りながら、あらゆるきっかけを利用して、新しい価値を求め、受け入れて、自らを変えようとしています。

いま、「おもてなし」や「もったいない」などのことばが海外でも話題になっています。最近は、日本の価値観から生まれた新しいサービスや行動様式を心地よいと感じる外国人も増え、日本に駐在したビジネスマンたちのなかには、帰国する際のみやげに洗浄トイレを買って帰る人も少なくないそうです。中国人の爆買いもその一例でしょう。

西欧の科学技術や合理性を導入し、精いっぱい活用してきた私たちが、ものづくりやマネジメントをはじめとする世界で、改めて日本古来の伝統的な共生の発想や行動様式を活かして新しい価値を提案していくのは、これからです。やっと、その緒についた所です。

まだ、私たちには、私たち自身が気付いていない大きな潜在力、可能性があります。やっとそうしたものが力になる時代がきたと言っていいと思います。 日本のものづくりが本当に力を発揮するのはこれからなのです。



   


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