と強く思ふのでありますが・・・、 なかなかそう思わない方もいらっしゃるようで、 「いまはITの時代。ものづくりなどもう古い」とおっしゃる方もふえています。 そうなのでしょうか? そんなことはありません。 ITの重要性は言を俟ちませんが、今後期待される宇宙航空・高度医療などの分野が進めば、 いまとは比較にならないほどの高度な品質での微細加工が求められるようになります。 そんな時代に、そうした高度技術をだれが提供するのかといえば、 自然の細やかな変化を人工の世界でも再現しようとしてきた日本しかないと断言したいと思います。 問題は、そうした高度技術を世界に向けて、 適正価格で提供する優位性をしっかり確保することにあります。 そのために、先人たちが作り上げてきた日本のものづくりを見つめるところから始めたいと思います。 気軽にお読みください。 ■ものづくり日本の心 ■ものづくり日本の源流を訪ねる (1)「富岡製糸場と絹産業遺産」 (2)「横浜開港と絹の道」 (3)「横須賀製鉄所:造船王国・日本の源流」 ■生糸貿易を支えた横浜の洋館・建造物・産業遺構 1859年、横浜を開港したら、生糸が飛ぶように売れた。 日本の近代化を支えた、生糸貿易にまつわる洋館・建造物を訪ねる。 ●本ページ/運営者について ■ものづくり日本の心 「日本のものづくりは世界の財産である」
■ものづくり日本の源流を訪ねる (1)「富岡製糸場と絹産業遺産」 門前町の参道のような通りを進むと目の前に巨大な赤煉瓦の建物が見えてくる。 江戸幕府から明治新政府に変わったばかりの明治5年、 上州富岡の地に作られた官営の富岡製糸場だ。 高さ14メートル、長さ100メートルを超える煉瓦造り。この空前絶後のスケールから、 圧倒的な周回遅れで列強との産業近代化レースに参加した日本が、 ものづくり強国へとすすむ、その出発点の意気込みを知ることができる。
目 次 ものづくり日本の源流を訪ねる−−富岡製糸場と絹産業遺産
■ものづくり日本の源流を訪ねる (2)「横浜開港と絹の道」 ![]() ペリーが率いてやってきた4杯のジョーキセンだった。 こうして、世界史の舞台になったのが「横浜港」だった。 横浜は一気に貿易の中心になっていく。外国人たちが横浜で求めたのが、 カイコからつくられた上質の生糸だった。 やがて横浜は空前の生糸貿易ブームにわき、 東北・上越・信州・甲州など各地から横浜に生糸が運ばれてくる。 生糸商人たちが横浜をめざした「絹の道」日本版シルクロードを訪ねてみる。
目 次 横浜開港と日本版シルクロード ■ものづくり日本の源流を訪ねる (3)「横須賀製鉄所:造船王国・日本の源流」 ![]() 「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産への登録を勧告しました。 本来ならば、ここに横須賀製鉄所の遺跡も含まれるところですが、 米軍の基地内にあること、現在も使用中であること などから「明治日本の産業革命遺産」から外されています。 横須賀の町には、ひっそりと、100年を超えるドックがいくつか 残されています。なかには100年を超えてなお現役のドックもある。 ここでは、日本の造船王国を生む原動力となった造船と海軍の町・横須賀と 造船の歴史を遺跡を訪ねながら眺めてみることにしよう。
目 次 造船王国・日本の源流――100年を超える現役ドックの宝庫―−
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